Asako’s リポート


麻子で〜す


私は中学1〜3年まで、インド・ムンバイで暮らしました。
小さな学校で、おしゃべり相手がいなくて困ったけど、優しい人たちに囲まれて、
とってもHappyな中学校生活を送る事ができました。
インドの古典舞踊、カレー、インド楽器、メンディー、インドのファッション…。
さまざまな体験は私の大事な想い出で〜す。

ボンベイ生活はこうして始まった / 結構大変です…ボンベイの中学生 / 祭りだわっしょい!
ナシク・イガプリを訪ねて / スティックダンスで踊ろう / 日本からの質問にお答えして
インドの中学生と習い事 / インドに学ぶ事 / 国際交流旅行 プーネ / 帰国して
 ボンベイ生活はこうして始まった
 私にとって、インドで大半の時間を占める学校生活のことからレーポートしたいと思います。ボンベイには、なんと昭和41年から日本人学校があります。日本人が多くすむマラバル・ヒルから北へ車で約30分のアラビア海に面したところに学校があります。小学校1年から中学3年生までの36名と、9人の日本人の先生と、4人のインド人の先生(主に英語の授業)、スクールバスの運転手さん、警備員さん、事務員さんなど16人のインド人スタッフがいます。生徒のみんなも日本の各地から来ていますし、校長先生は、なんと北国・北海道余市からいらっしゃいました。(ジャンプの舟木や宇宙飛行士の毛利さんが,教え子とか。)

 私の担任の先生は宮城県から、太郎の担任の先生は、熊本からいらしています。一学年だいたい5〜6人。中1の私のクラスは女子ばかり4人。太郎たち5年生は、男子6人・女子2人の8人で一番多いクラスです。各クラスには担任の先生がいますが、小学生も教科ごとに先生が違うので小学生の太郎はずいぶん戸惑っていました。小人数なので授業はまるで塾のような感じです。先生ともすぐにお友達のように仲良くなれました。ただ太郎は、宿題が各教科ごとにたくさん出るので毎日しんどそうです。

 私にとっても英語とは別に英会話の授業があって、日本で2年間勉強してきたとはいえほかの人のレベルには全然ついていけないのでとってもあせっています。学校で教えているインド人の英語の先生が、家庭教師もしてくださると言うので5月から習うことにしました。(太郎も,お母さんも教えてもらうことになりました。)

 日本の夏休みのような気候なので学校が終わって家に帰るとそれだけでぐったりしてしまいますが、それでも休み時間はみんなで外でバスケットや、バレーボールをします。子どもだけでは人数が少ないので、先生方も必ず参加してくださいます。元気なK先生は,「い・れ・て!ちょんまげ!」なんていいながらとんできますし、バスケットのチームきめのジャンケンをしたら隣からスーット校長先生の手が出たりして、自然に先生も混ざってたり!!!!日本では考えられない楽しい休み時間です。先生の方が結構本気でむきになって遊ぶところが面白いです。

 今がボンベイは一番暑いときです。雨季には、プールには入れないので、毎週木曜日に全校でブリーチ・キャンディーというところのプールへ行って水泳の授業です。まだ3回しか入ってないのに既に背中や顔の皮がむけました。ボンベイの暑さは今がピーク。英語で言うと、HOT/HOTTER/HOTTESTのHOTTESTの時期です。

 下校が、4時ごろだったり、時には5時ごろになるので家に帰っても宿題
をすると、ご飯を食べてバタンキューです。私はまだお友達の家を訪問するほど元気や余裕がありませんが、太郎はファミコンのソフトをもって夕方お友達の家に行ったりしています。6時まで遊んでくるのでつかれて宿題をするのが大変で居眠りしながら、時々泣きながらやっています。どこへ行くにも車がなくてはならないし一人で行けないのが不便です。


民族衣装を着てクラスメートと
クラスメートとインドに民族衣装を着て

学校の様子はこんなところです。中3のお姉さんの中には日本に帰って受験せずに、ボンベイのアメリカンスクールに進学する人もいるし、早くも私は志望校を記入して進路に向けての模試があったりして、ボンベイになれながら将来のことをいろいろ考えなければならないので、今はいろいろなことで頭がいっぱいです。あと1年で帰ると人、お父さんの仕事の都合でもう11年もボンベイにいる人。ニューヨークやウイーンなどほかの国からここへ転勤してきた人。いろいろな事情をみんな抱えていて、私だけが大変じゃないな!と思っています。同じ日に同じ飛行機で地震がすごかった西宮市から引越ししてきたFさん(中3,小5)が、同じマンションに入ったので今もいろいろな悩みを話したりお互いを励ましています。日本のことを考えるとちょとつらいときもあるけどまだ始まったばかりなのでがんばろうと思っています。


 大変です…ボンベイの中学生
日本にいるときよりも、ずっと時間があると思ったのにやっぱり中学生になると勉強だけで忙しい。テレビもないし、マンガもないのに、毎日が宿題だけで終わってしまう。もっとインドを知りたくても時間がない。こんなはずじゃなかったのにと思っています。週末だけ時間があるので、ボンベイ市内の観光や博物館、美術館めぐりをしています。ガンジーが住んでいた、ガンジーハウス(マニ・バワン)がすぐ近くにあるので見に行きました。伝記を読んでいたもののガンジーの足跡がよくわかりました。

アラビア海をのぞむ
自宅の窓からアラビヤ海をのぞむ
右の緑の所が「沈黙の塔」

プリンス・オブ・ウエールズ博物館ではインドの鳥の剥製をたくさん見れて、インドカワセミも、ぜひいつの日か生で見たいと思いました。ちょうど社会でやっている世界4大文明のひとつインダス文明のモヘンジョダロやハラッパの遺跡から発掘されたものを、間近に見れて感激しました。インドのムガール帝国時代の細密画も素晴らしいです。博物館には、たくさんの家族連れが来ていて、冷房がないので、すぐに暑くて我慢できなくなりました。平日にゆっくりきたいです。ビクトリア・アルバート美術館には、パーシー教徒(ゾロアスター教)の鳥葬の塔「沈黙の塔」の模型があります。私の住むフラットから1キロくらいのところにある沈黙の塔は、パーシーの人たちが、死後、自らの体を鳶や、鷹に食べてもらう為の大きな葬場です。最初、ボンベイにきたとき、日本ではなかなか見られない猛禽類が多くいたので、バードウォチィングが楽しみでしたが、鳥葬の為にたくさんいることを知って、少し複雑な気持ちです。沈黙の塔は、異教徒は、入れないので、模型でしか見られません。(父と母は、家探しのとき、沈黙の塔近くのフラット最上階からなんと!実物を見てしまったそうですが…。沈黙の塔が見えるフラットはやめたそうです。)ドビーガードと呼ばれる洗濯市場にも行きました。
 カーストの最下層の人たちが働く洗濯場で、濁った水(多分洗濯用の石灰水)で、衣服を石にたたきつける様に洗います。小雨の中、休まずに小さな子も混ざって働いていて、こういうところを見るのは、見学とはいえ、心が痛みます。植民地時代に、イギリス皇帝を迎えた、海のそばのインド門など、歴史を知る資料が街のあちこちに散らばっているので、いろいろ見るのは、楽しいことです。せっかくの市内観光もモンスーンが来て、当分できなくなりそうで、残念です。
 祭りだわしょい!
モンスーンが終わるころから、ヒンディーの神様たちのお祭りが始まります。8月26日のラジャスタンのお祭り、RHAKI(ラキ)は、兄妹dayで、プロミスリングのようなきれいなリボンを交換するのからスタートしました。同じフラットの人たちもあちこちで、盛大にパーティーをしていましたが、これは、ラジャスタンの人だけの習慣です。


Rhakiのリボン

9月3日は、ヒンディーの神様クリシュナの誕生日、Janma Ashtami(ジャンマ・アシュター)でした。日本人学校もお休みになり、半分くらいのオフィスや、郵便局などもお休みになります。クリシュナというのは、ヒンディーの三大神シヴァ・ブラフマー・ヴィシュヌのうちの一人、ヴィシュヌの化身の神様で、ヒンディーの中では、とっても人気の神様です。クリシュナは、顔が青いのが特長で、ハンサムで、女の人をたくさんファンに持ってます。茶目っ気もあって、子供時代のエピソードには、面白い話がたくさんあります。ヨーグルトが大の好物で、お供えには、ヨーグルトが欠かせません。
誕生日の前から、クリシュナが生まれた夜中まで、、女の人たちは、断食をします。果物だけしか食べません。夜になって、ターリー(インドの定食)をのせる銀のお盆(今はステンレスが多い)に水を張って、その水に月をうつして、だんなさんの健康を祈ったり、家族の安全を願ったりします。とってもロマンティックです。それが終わって、夜中を過ぎたら、断食が開けます。この日、お父さんは、出張で、、デリーから、エアー・インディアに乗りましたが、機内サービスは、果物だけを取る人がたくさんいたそうです。

人間ピラミッド
クリシュナのお祭り

3日は、あちこちの高い木の上にヨーグルトが入ったつぼが、マリーゴールドや、ジャスミンの花、果物と一緒に飾られて、その壷を、たくさんの青年団の男の人(1グループが、20〜30人くらい)が、人間ピラミッドを作って割ります。クリシュナが小さいころ、お母さんがヨーグルトを取らせまいとどんどん高いところに隠したからです。近くのフラットに住む人は、水の入ったビニール袋や色水をかけて妨害します。でも見事割れたらお囃子の笛太鼓に合わせてフラットの回りを踊りながら一周します。お腰クネクネのインドの楽しい阿波踊りみたいな感じです。これは結婚式や他のお祭りでもそうです。インドの人はお祭り好き。いつも賑やかに踊ります。それからフラットの人たちから小さなお菓子をプレゼントされて、男の人たちは次の壷のところへ移動していきます。このお菓子は、PEDA(ペダ)と呼ばれているお祝いのお菓子です。ミルクを煮詰めて砂糖とドライフルーツが入っていてサフランで色づけされています。私の家には配られませんでしたが、お友達のフラットではフラット中に配られておめでたくお祝いしたそうです。私も母と一緒にお祭り見学に街に出かけました。私たちが、カメラ向けると面白おかしくポーズをしてくれて、思わずふき出しそうになりました。
クリシュナのお祭りはボンベイでは盛んで、ヨーグルトの壷割りはここでだけのようです。運転手さんのマディさんは南インドのマドラス出身ですが、マドラスではないそうです。また地方によっては玄関からクリシュナの祭ってある祭壇まで米の粉をといて赤ん坊の足跡をかいて祝うそうです。
9月4日の新聞The Times of Indiaには、男の世界をぶっこわせ!の見出しで、女の子が、勇敢にヨーグルト割りに挑戦している写真が掲載されました。ヨーグルト割りは、男の人だけに許されたお祭りでしたが、今年初めて、約束を破って女の子も挑戦したそうです。「日本の女みこしみたいだね。」と、母と話しました。次のガネーシャのお祭りは、特に盛んの様で、連休になるので、今から特に楽しみです。インドの人もモンスーンが開けて、お祭りがほんとに楽しそうです。

 ナシク・イガプリを訪ねて
私と弟は、10/7〜9まで、ボンベイから車で4時間、北東にあるイガプリとナシクという所へ国際交流旅行に行ってきました。イガプリは、インドの西、アラビア海側のデカン高原のはじまりの所にあって、緑の美しい田園地帯です。ボンベイが、東京の様にビルが立ち並び、ゴミゴミして都会なのに比べて、どこまでもつながる緑を見て、なんだかうれしくなりました。ほっとした気分でした。
今回の旅行の目的は、インドと日本をつなぐ日印協会の人との交流会がメインです。今までは、プーナという所に行っていましたが、ナシクやイガプリの人の要望で10年ぶりに訪れることになりました。プーナには、仏教の勉強のために昔からたくさんの日本人が訪れている為に交流も盛んで、ホームステイをさせてもらったりしますが、今回は、ホテルに滞在しました。交流会の会場は、日印協会の人が一生懸命用意してくださったのですが、小さな会場に170人近くの人が集まり、日本人学校の生徒を歓迎してくださいました。あまりの混雑にものすごい暑さ、途中で雨漏りしたり、あげくのはてには、停電までしてしまって、最悪の事態になってしまいました。それでも、村長さんの長―いお話や、歓迎の言葉が続き、一生懸命な感じはよく分かりました。グループに分かれて、交流するときは、私の班は、ダンスをしたのですが、みんなとても楽しそうに踊ってくれて良かったです。わずかな時間でしたが、お別れのとき、バスに乗って帰る私たちに、いつまでも手を振ってくれました。
ナシクは、西のベナレスと呼ばれていて、西のゴダワリ川は、東のガンジス川と並んでヒンディーの人たちの聖なる川です。ゴダワリ川の沐浴場(ガート)を見学しました。ヒンドゥーの人は、聖なる川で、沐浴すると、全ての罪が消えると信じています。そこで、まじめなヒンドゥー教徒は、一生に一度は、聖なる川で沐浴して、この世の自分の罪を流したいと思っています。だから、死んだときは、この聖なる川の水につけてから、火葬して、その灰を聖なる川に流します。そして、今よりも少しでもいい暮らしが出来るようにと願います。前世の行いが悪いと虫や動物に生まれ変わってしまうそうです。だから、今貧しいのは、前世で悪いことばかりしたせいだとおもって、今度こそは恵まれたいと思うそうです。太郎は、この川の底には、きっと骸骨がいっぱい落ちていると思っていたそうです。でも、火葬して、灰を川に流します。だから、骸骨はありませんでした。インドの有名な、ガンジーもネルーもみんな、このゴダワリ川に流したそうです。ガンジス川だと思っていたので、ちょっとびっくりしました。ガードには、たくさんの人が、花やココナツのお供えを流して、沐浴をして、お祈りしていました。
交流会や、見学も楽しかったですが、日本人学校のお友達とさらに仲良くなれたことも良かったです。

 スティックダンスで踊ろう
10月19日は、ダセラというお祭りでした。ヒンディー教の神話「ラーマ・ヤーナ」の物語で有名なラーマ王子が魔王ラーヴァナを征服した勝利を祝うお祭りです。ガネーシャのときほどではないですが、10日間にわたりくりひろげられ始めの9日間は、歌や踊りが続けられます。10日目に、飾っていた神様を海に流します。ムンバイでは、この時期、お寺に出かけて、祈る人が長い行列を作ります。家やフラットには、神様の像を飾り、そして夜はスティック・ダンスを狂った様に踊りまくります。毎晩9時半から12時まで、ガンガン太鼓と笛の伴奏に合わせて、30センチくらいの竹のスティックを両手に持って、打ち鳴らして踊ります。私のフラットの下でも毎晩、盆踊りの様にキラキラのネオンの下で、賑やかな踊りが繰り広げられました。日本人学校の先生たちは、こういうお祭りが大好きで、自分たちも夜踊りに出かけたそうで、翌日スティック・ダンスを教えてくれました。2重の円になって向き合い、互いにスティックとスティックを打ち鳴らし、ステップを踏んで、一回くるりと回ったら、次のパートナー変わります。治安のこともあって、私は、お母さんのお友達のフラットで行われる、会員制のスティックダンスに行きました。入場料が150ルピー(450円)もするので、お金持ちの人が多かったです。このスティックダンスは、グジュラティーの人の踊りです。(グジャラート地方の人)。サリーではなくて、集まった人は、みんな、グジュラティーの民族衣装を来ています。スカートと、へそだしブラウス、ベールをかぶっています。ちょうど、月の砂漠の王女様のイメージです。ミラーワークとよばれる小さなスパンコールや、刺繍がついたとってもきれいな衣装でした。男の人は、生成りや、麻のクルタ・パジャマとよばれるパンジャビースタイル(パンジャブ地方の衣装)が多かったです。80%くらいが、私と同じティーンエイジャーばかりで、お母さんは、とってもびっくりしていました。「なに!これ!インド版ジャニーズ事務所男の子とアムロちゃんのコピーみたい。」と妙にはしゃいでいました。私も、恥ずかしながら、母に「踊ろう、踊ろう」と無理やり輪の中に入れられて、踊りました。恥ずかしかったけどけど、どの子もスンナリいっしょに踊ってくれて、うれしかったです。なかには、めちゃくちゃ上手な人もいて、だんだん夜がふけてくると、曲も早くなり、スティックを置いて、お腰くねくねのダンスは凄かったです。男のこたちはV6顔負けのダンス名人だし、女のこのスパンコールキラキラの衣装が回る度にキラキラ光って美しかったです。

インドのV6
インドのV6みたいな男の子たち


 日本からの質問にお答えして
今回は、日本からのお友達からいただいたお手紙で、質問の多かったものについてお答えいたします

Q.インドの女性は、みんなサリーを着ているのですか?
A.はい、ほとんどの人が、サリーを着ています。ボンベイは、大都会なので、西洋風な服を着た人を見かけますが、とっても少ないです。ほとんどの人がサリーです。お金持ちも、スラムの人も華やかな原色のサリーを着ています。お掃除のおばさんも、メイドさんも、工事現場の石運びのおばさんも、郵便局のおばさんも、ホテルの受付のお姉さんも、スチュワーデスも、お医者さんもサリーを着ています。サリーが大好きです。他の国で、こんなにたくさんの人が今でも民族衣装を着ている国の人はいないのじゃないかと思うくらい、みんなサリーを着ています。外国にいてももサリーだからインド人はすぐわかります。


サリーの着方1 サリーの着方2 サリーの着方3

サリーの着方

Q.みんな頭にターバンを巻いているのですか。
A.インド人の男の人は、みんなターバンを巻いているように思われているけど、ほんとは、パキスタンに近いインドのシク教徒の人だけがターバンを巻いています。全体の2%くらいしかいません。シク教徒じゃなくても、ホテルのガードマンとか結婚式のときとかは、ターバンを巻きます。これは、ファッションでそうしています。ボンベイは、シク教徒が、けっこういるので、よくターバンを巻いた人を見かけます。シク教の人は、生まれてから、髪の毛や、ヒゲを切ってはいけない事になっているので、男の人も長い髪の毛をしていて、この毛をギューとしばって黒柳徹子さんのように、頭のてっぺんでお団子にして、タマネギ頭を作ります。そこにハンカチくらいの大きさの布をきっちりかぶって固いタマネギを作ります。そして、ターバンを巻きます。ターバンは、約1m×6mくらいの綿の布で、これを対角線の角を持ってぐるぐるねじって太いロープの様にしてから巻いていきます。チッチリ巻けるようになるには、そうとう練習が必要です。シク教の男の子は、毎朝、お母さんに髪をお団子に結ってもらいハンカチだけをかぶった、タマネギ頭にしています。だから、街で立派なヒゲに大きなターバンのお父さんとタマネギ頭の子供が歩いていると、とってもおかしいです。つい、じろじろ見てしまいそうになります。サッカーをするときもシクの人は、ターバンをしているので、ヘディングのとき楽そうで良いなあと太郎がよく言ってます。太郎のサッカーの友達にもタマネギ頭の男の子がいます。オートバイに乗るときもインドでは、シク教の人は、ヘルメットをしなくてもよい事になっています。私は、インドファッション研究会で、ターバンの巻き方も練習しました。たまねぎのところは、タオルを丸めて、つけ団子にして巻きました。日本人の駐在員のおじさんたちが、日本に帰国する前にターバンを巻いて写真をとりたいからといって、私のところにターバンを巻いてもらいに来ます。ボンベイで、ターバンが巻ける日本人は、私とお友達のNさん、顧問のK先生だけです。


ターバンの巻き方(玉ねぎの下地を作る)

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