私たちが住むムンバイ

ハッピーデワリ

 ヒンドゥー教のカレンダー(陰暦)は、今年の新年は、10月28日でした。大晦日にあたる前日(今年は、調整のため26日)は、デワリと呼ばれ、1年で一番大切な祝の日とされています。去年は、日本に一時帰国中でデワリの様子を見ることができませんでしたが、今年は、インド人の友人のお宅を尋ねて、デワリ・クリーニング(大掃除)や、新年の飾り付けを見せてもらいました。デワリのために部屋のペンキを塗りかえる家や、窓ガラスの念入りな掃除は、日本と同じ。3日前頃から、各家の玄関前には、砂絵のランゴリーが、描かれて綺麗です。デワリは灯の祭り。夜になると各家の玄関には、杯より一回り大きなオイルポットに油が注がれ、細いコヨリに火がともされます。デワリの神様ラクシュミー(女神)を迎え入れるため飾りで、インド中がこのキャンドルでいっぱいになります。ボンベイは、高層住宅が多いので、各フラットの、窓辺には、オレンジや赤の豆電球がクリスマスの様に飾られて、日没と共に、ポッ、ポッと灯がともるのを子供たちは窓から眺めました。中央には、チョウチンが飾られ、お盆とクリスマスが一緒にきたみたい。

災いが聞こえてこない様にするのと、悪魔を追い払うためにデワリの夜は、一晩中爆竹を鳴らして、大騒ぎです。この爆竹のせいで、しばらくインド中がすごいスモックに包まれます。今年は、この爆竹に注ぎ込まれるお金があれば、125万人の飢えた子供たちに食事を与えられるという記事が新聞に載ったりもしました。デワリには、新しい服をおろし、デワリ前日には、貴金属を買うと、福を招くといわれていて、深夜まで、街はデワリの買い物客でにぎわっていました。
 いつも映画雑誌を買いに行く道端の露天の、少年がおろしたての赤いポロシャツと青のズボンを着ていて、「よく似合ってるよ。」と声をかけたら、「デワリだから買ってもらったんだよ。」と胸を張りました。子供たちも御馳走やお年玉、新調した服と、楽しみなデワリです。

日ごろお世話になっている、フラットのウオッチマン、ドライバーやメイドにも、お年玉の心づけを渡すのが習慣です。次から次へと、様々な人が、「ハッピー・デワリ」と挨拶に来て、私達外国人は、このデワリのチップが頭痛の種でもあります。いわばボーナスですが、新聞配達、ポストマン、エッグマンに至る御用ききすべてとなると、本当に大変。詐欺も多発したりして。
水道局のワーカーがデワリのボーナスが少ないとストをして、断水したり、交差点に給水車をドーンと止めて、渋滞を招いて抗議したり…。(この時、むやみに車を動かそうとすると大変。20分くらい関係ない人も彼らのストに強制参加するかたちになります。)インド人はストライキが好きです。一番民主的な抗議方法と思っています。
 断水もようやく解決して、無事一夜明けて、新年には、南インドの人はココナッツのオイルバスをして、北インドの人も丁寧な沐浴をして、プジャー(祈祷)をします。この日には、家計簿や、帳簿を新しくし、これらにも女神ラクシュミーにあやかって、プジャーをして使い始めます。ちなみにラクシュミーは日本では弁天様。商売の神様ですね。翌日は、いつもは家にこもりがちな女性たちも、大手を振ってお寺参り。女正月とでも言うのでしょうか。着飾った女性がお寺にもうでます。
 3日目は、兄弟の日。男兄弟を食事に招き御馳走します。日ごろの感謝と、これからの保護を約束して、プロミスリングのような紐を兄の手首に巻く人もいます。女性の地位が低いインドでは、実家の両親以外にも、嫁ぎ先でのトラブルや、女性特有の困難から、男兄弟が、女性を守るのは、大切な義務とされていたのですね。インド人は結婚後も兄弟関係をとても大事にします。兄弟親戚が集まり、和やかに食事をし、1年の幸福を祈るのが、デワリです。日本の昔のお正月に似ていますね。
約15日間、学校も休みになり、ようやく11月13日から学校も始りました。我が家は、このデワリの休暇に、北インドジャイプール、デリー(インドの首都)を旅して、いろいろなデワリの光景を目にしました。祭壇用に、マンゴの葉、マリーゴルド、そして、ジャイプールでは、なぜか2mもあるさとうきびを買い求める人で、夕方のマーケットはごった返していました。吉兆の色、サフランの黄色いお菓子(ミータイ)は、正月用の特別なもので何箱も買い求める人たちで、ミーターイやさんは、大忙し。私たちも、ジェット・エアーから降りる時、小さなミータイの詰まった箱を「ハッピーデワリ」とにこやかに微笑むスチュワーデスからもらいました。御年始の挨拶といったところでしょうか。こうして、今年もインドは新しい年を迎えました。

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