私たちの住むムンバイ



ムンバイ赴任ショック


「大事な話があるから、みんな座って。」
珍しく早く帰宅したお父さんが、スーツも脱がずに言いました。食卓にみんなが集まると、
「今度、お父さんは転勤で、インドのムンバイという所へ行く事になった。ついては家族のみんなにも一緒に来て、お父さんの仕事に協力してもらいたい。よろしくお願いします。」
太郎 「えー。どうして、インドなんだよ。ぼく行かない。」(テーブルに顔を伏せて、泣きはじめる)
麻子 「インドぉ?ボンベイ?それって、日本人学校あるの?まさか、インターナショナル・スクール?英語の生活圏なの?」と不安顔です。
裕子 「インドかぁ?ボンベイねぇ。まあ、先進国への転勤はないと思っていたけど。イスラム圏駐在から、ヒンディー圏駐在ということだね。あは・・は・・・。」
インド・ボンベイへの転勤騒動はこうして始まったのでした。
ムンバイショックそれぞれ

大泣きして嫌がった太郎は、泣くだけないたら、あきらめがついたのか、「サッカーチームがあるか調べてよ。あるなら行ってもいいよ。ファミコン買ってくれる?日本では持ってないけど、買ってくれるなら行ってもいいけど・・・」などと交換条件付の承諾。翌日には、笑顔が戻って、立ち直りの早さにこちらが驚きました。おしゃべりで何事も黙っていられない性質なので、渡航はまだ先にもかかわらず、ボンベイ転勤を学校でいち早く発表してきました。
 12歳の麻子は、少し違った受け止め方をしたようです。翌日、学校ではインドとボンベイのことが頭の中でかけまわり、ほとんど何も手につかなかったようで不安と心配が入り混じり、学校では打ち明けた友人の前で泣き出してしまったようでした。幸いにも今のインターネットのおかげでお父さんがその日のうちにアクセスしてくれたボンベイ日本人学校のホームページ(スクール・ページ)で、現地の学校の様子が、手に取るようにわかり、不安が取り除かれていった事は幸いしています。いつも前向きな彼女は、今インドについて書かれた本を読んで事前学習をはじめました。
 さて、お母さんの私は同じアジア、10年前のジャカルタだって、治安も、水も、医療も、とても苦労したんだからこの経験への海外赴任事情に加えて、食料事情の悪さ、日用品がほとんど手に入らないということが判明して何から手をつけようかとボー然としています。
インド・ボンベイに転勤を告げた回りの人たちの反応は、極端に2パターンに分かれました。
「インドぉ?ゲェ―、大変だねぇ・・・・あは、は、は・・・。」
と、同情と、驚きと、よくもまあそんな大変なところへ家族で行くもんだという気持ちの入り混じったような曖昧な笑い。まぁ、おおかた7割くらいの人の反応でした。残りの人は、
「いいなぁ、インド。なんたって、世界文明発祥の地ですね。」
「生と死が隣りあわせにある国じゃないの。悠久の時が流れているそうですよ。」「人生観が変るでしょうね・・・普通じゃ経験できない事ができますよ、きっと。」
というような哲学的なご感想をおっしゃる方もいました。
 
 ボンベイ(ムンバイ=Mumbai)は、現在1250万人の人口をかかえるインド最大の都市です。インド亜大陸の西海岸アラビア海に面していて、雨季と乾季のある典型的なモンスーン気候。平均気温27度、雨季には東京年間降雨量の2〜2.5倍の降水量があり、酷暑期には気温が40度近くになるそうです。多くが、ヒンドゥー教徒、昔ながらのカースト制の国です。歴史的にはポルトガル支配の後、イギリス植民地時代には東インド会社の拠点地でもありその面影も多く残しているそうです。

 家族それぞれが、様々な不安と期待で渡航の準備を勧めてきました。予防注射、たくさんの日本食や、日用品の買出し、インドに関する資料の勉強、・・・・。きっと、積み残しもたくさんあるでしょうが、家族で力を合わせて知恵と勇気をフル回転させて、新しい生活へ漕ぎ出したいと思っています。(1997年1月27日)




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