私たちの住むムンバイ



引越しの顛末

 引越しは、やっぱりとっても大変でした。正直に言うならばインドが大嫌いになり逃げ出したいくらい大変でした。毎日がインドとの闘いでした。
 新居の設営を巡る様々な問題は、今となれば戦いすんでと言う気分で正直思い出したくないくらいです。インド的時間、インド人の考え方をつぶさに体験した気がします。いかに日本での自分の暮らし方そのものが非力であるかを思い知らされました。

 新しく入居するフラットには家具も照明もカーテンもありません。ガスレンジもなければ、ドアにドア・ノブがなかったり、もちろんトイレットペーパーホルダーもないし、水は出るが浄水機がない、エアコンがない。要するに家の器はあるけれど中身はまるでないのです。この家を斡旋した不動産屋さんのお兄さんと毎日毎日ボンベイ中の市場を回りそれらを探してきては取り付けます。インド人のこのお兄さんは若いころのプレスリーに似たハンサムで名前をディパックといい、北インドの大変お金持ちの家庭に育っていますが、インド的ライフスタイルが強いので私の望む備品がある店にたどり着くまでがまず第一関門です。

 照明器具やさんでは、
「これでは、中華料理店の照明だよ」
と笑い転げるほどおかしな行燈屋さんに連れて行かれました。ヨーロピアン・スタイルでいいからと言ったらインポートのイタリアン・シャンデリア屋だったりと、私の言わんとするお店にたどり着くまでが数日かかる次第です。こういう日々が家具屋、ベッドマットレス、カーテン、電気屋めぐり…と、延々と続いたのです。何しろインドにはデパートもスーパーマケットもありませんので1つ1つ店を覗かなくてはなりません。たとえあっても取り寄せ配達にかなりの日数を要します。カーテンはカルカッタ、マットレスはハイデラバードから届くのでした。

家具については、まずボンベイの郊外(車で約1時間)にある家具市場のカタログやに行きました。家具のショウールームもあるにはありますが大変高価なので、安く作るにはオーダーしなければなりません。カタログやは道端の小さなスタンドに、世界中の家具や通販のカタログを用意してあります。日本のコスギや大塚家具のカタログもあってびっくりしました。ファニチャーマンとあれこれカタログをめくり、「これがいい」と言うとそのページをメモしてそっくりのものを作ってくれます。食器棚やサイドボードは、フラットに運んでから組み立てたり椅子の生地を張ったりしました。これもインド的言い訳と、インド的時間の観念が加わって予定より大幅に遅れて完成となります。

インド人は、おおよそ10時ごろ仕事場に着ます。そして親方から指示をもらって11時ごろ現場に行きます。でも親方がこないと仕事は始めません。1時ごろ親方が来てやっと仕事は始まりますが、3時ごろご飯を食べに行きます。4時ごろ帰ってきて、5時には今日はおしまい!と言って帰ってしまいます。電気工事職人、ペンキや、水道屋すべてワーカーと呼ばれる人は、このペースで仕事をします。親方がいないとすぐ休みます。親方に仕事を注文している私がいてもサボります。だから仕事をして欲しいときは、少しチップをはずまなければなりません。ですが効果的だったのは、
「あなたがやらないのなら、私がやる!」
といって、私が水道の水漏れや、電気の配線工事をしようとしたときでした。
「マダム!どうぞ座っていてください。私がやりますから。」
と言い出します。トイレ掃除やペンキ塗りや配線工事の後かたづけは、自分の仕事じゃない、としゃがんでいた職人さんも、私が、箒を持つや、飛んできて、「マダム!すわっていて。」といっておもむろに仕事をします。だったら始めからやってよと言いたいのに、毎日20人近くのワーカーが来るのに、みんなボーとしゃがんでい工事屋さんにいたっては、電話を玄関に取り付けリビングまでの配線は私の仕事ではありませんといて帰ってしまいました。

10億もの人口ですしカーストも手伝って、実に仕事が分業化されていて、自分の分しか働きません。だから一つの作業に数十人がかりです。日本人的時間の観念では、到底この国では生きていけないことを実感しながらも、泣きたくなることばかりでした。正直に告白するならば、
「あなたのいってるTomorrow(明日)は、一体何時の事なの?インド人は、必ずTomorrowっていうけど、すぐに出来たことがないじゃないのよ。あなたのNo Ploblem(大丈夫、問題なし)は、私にとっては、大問題なの。」
と、インド人に対して何度も怒鳴ってしまいました。許されるならいつの日にかガンジス川でこの罪を洗い流さねばなりません。インド人のTomorrowは、「いずれそのうちに…」というニュアンスだという事がわかってからは、さほど怒らなくなりましたが。

 荷物の運搬については、外資系の運送会社に頼んだ為コストは高いものの、何一つなくなったり破損することなく予定どおり終わり、「引越しのさかい」みたいな元気なインド人のお兄さんが、あっという間に終わらせてくれました。
 
 時には、ごねられてたくさんのチップや、手間賃を要求されて辟易しました。ですが外国人の私が異国で困っている姿を見て、多くのインド人は、損得なしに親切に手助けてしてくれました。特に身分の低い人たちが親切です。大卒の職人のボスや、オーナーサイドの代理人たち、いわゆるお金持ちは、自分からまず仕事を肩代わりしたり、助けてくれようとはしません。(もちろん、親切な人もいますが。)だから身なりの貧しい人が、私のためにがんばってくれたときは心から感謝しチップをはずむ気にもなります。カーストの身分の低い人は自分からお金は要求しません。物乞いと中間管理職の中間、いわゆる下働きのピヨンと呼ばれる人々にインド人のやさしさを見た気がしました。

 多くのワーカーのお兄さんたちとは英語が通じることが少ないのですが、何日も通ってくるうちに次第に打ち解け、私の困難に損得なしに手助けしてくれる心やさしいインド人もいました。そんな中で「ものむらい」でつらそうなペンキやおにいさんに目薬をあげてから仲良くなったマニさんは、サウジアラビアでの出稼ぎの話(インド人は、中近東に、良く出稼ぎに行く)をポツリポツリと私に語り、
「日本にもペンキ職人はいるのか。」
と聞くので、もちろん。と答えたら、
「ペンキ職人は儲かるか。」
と聞かれ、人それぞれね。儲かる人もいるし、腕の良くない人は、仕事が少ないわよね。と答えたら、しばらく考えて、
「どこもおなじだな。俺の腕なら、日本でも大丈夫かな。日本は儲かるだろうから、出稼ぎに行きたいけど。」
と言われ、これには、返事に困りました。
「日本は、家の中には、ペンキを塗らないし、外壁も塗る家と、塗らなくてもいい家があるから、きっと、仕事は少ないと思うよ。」と答えました。

 今回の家の設営と引越しで感じたことは、どんな困難も自分で戦って解決しなければ先には進まない。と言うことです。電話一本ですぐに駆けつけてくれる水道やさんもいないし、配線工事をしてからペンキを塗るという段取りもありません。こちらの都合とはお構いなし。仕事はちっともはかどらない。全てを自分で指示して切り盛りしなければ、インドの主婦は勤まらない。電気やさんも大工さんも道具を持たずに来るので、我家の日本製の大工道具がどんなに活躍したことか。今日本で家をたてる時は全部工務店がセットで親切丁寧なサービスのもと物事がすすみます。便利な日本にいると当たり前の事もここでは全く通用しません。なんだか、「生きる力」を試されている様です。
(どこかの国の文部省では、「生きる力」を育てようといっているようですけど。)

 おかげで、トイレの便座の交換や、窓ガラスの交換、電気配線を分ける、水道の水漏れ直しなどなどガ自分でできるようになってすごい!それらの部品をマーケットに買いに行くスリルと興奮もたまりませんが…。
闘うインドライフは、どうやらこれで一件落着となるでしょうか。
(1999年5月15日)




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