私たちの住むムンバイ


身近なインドの人々

 あまりにも、貧富の差が激しく、加えて法律上は、なくなったはずのカースト制も、外国人の私たちからは見えにくくても、根強く残るインドでは、インド人の友人と呼べる人との付き合いをするのはとっても難しいです。毎日顔を合わせる我が家の使用人たちは、日々の生活を助けてくれる情を超えた本当に親切な人たちですが、これは友人ではなく当然、雇用者と使用人との関係です。なかなかインド人の友人を作るのは難しい。加えて、友人・親友というのは、作ろうと思って出きるものではないし。知り合いという関係から、さらに意気投合して友人と呼べる人となると、この1年で一体何人いるでしょうか。中産階級とよべるインド人は、わずか10%足らず。(それでも1億人もいますが)少ないインド人の交友関係から、インド人の友人たちの考え方や、面白いエピソードを紹介しましょう。

● アイシャーの結婚 ●

「突然ですが、結婚する事になりました。」と彼女が、言った時、「よかったね、長年の交際が実を結んだんだ。おめでとう」というと、「あ、その人じゃないの。えへ、へ…。」と、気まずそうにアイーシャさんは、バックから婚約者の写真を取り出しました。「先週、お見合いして、この人に決めました。彼は今、ワシントンDCに住んでいるから結婚したら、私もすぐワシントンに行くことになったの。」

麻子と私のインドダンスの先生、アイーシャさんは、今年26歳。「いつ結婚してもいいんだぁ…適齢期だし、あせってるんです。親はもっとあせっているの。」と達者な日本語で話していました。「つきあっているボーイフレンドがいるのよ。」と写真も見せてくれて、てっきり彼とゴールインかと思っていました。アイーシャさんは、ボンベイのカレッジで商学とコンピューターサイエンスを学び、日本語学校で、日本語を学び、翻訳の仕事を日系企業でしていました。美人で、カッコよくジーンズもはきこなす現代的なお嬢さんです。小さい頃から習っていたインドの古典舞踊バラタナティヤムとメンディーをアルバイトで、私たちに教えていました。お母さんは、マハラシュートラ・ボンベイ出身。お父さんは、南インドのバラモン(一番上のカースト)の家系で、3姉妹の末っ子。それぞれ、お姉さんたちは、結婚して、カナダとアメリカに住んでいます。ダンス以外にも一緒にランチを食べにいったり、映画を見にいったり、彼女の翻訳の仕事でわからない時、手伝ったりしているうちに、プライベートな話もよくするようになりました。

「エッ、エー。電撃的だね。何回、会ってその人と話したの?」「4回。二人だけであったのは1回」「それで決めちゃったの?」「ウン。でも、会う前から決めてた。」「エッ?」「お母さんが、マリッジ・ヴィレッジ(結婚相談所)で、申し込みした時、彼と会って、お母さんが彼をすごく気に入って、いいというから。」「だって、お母さんが結婚するんじゃなくて、あなたがするんでしょ。」「大丈夫、お母さんが気に入っていれば。彼もお母さんを気に入ったし。」「アイーシャ…それって…ホントにそれでいいの。昔の恋人ふってお母さんが決めた人と結婚して不安とかないの?」「ゼーンゼン!こういうのがインドでは当たり前だもの。」かくして、彼女は2ヶ月後、古式ゆかしくのっとったバラモンスタイルの結婚式をしてワシントンに飛び立ってしまいました。アイーシャさんとの交際なかで、コンピューターを巧みに操作し、ハンサムなボーイフレンドの写真を見せてくれる日本にもよくいるお茶目な女性、外資系企業のOLとして働く進歩的な現代女性をイメージしていた私は、あまりに、保守的な結婚の選択に驚きました。

 しかしながら、26歳の彼女が、夜遅くなると、門限を気にしたり、ブラーミンの家系から、自分より下の階級の男性とは、結婚は出来ない事への苦悩を感じてはいました。カーストが高い男性が身分の低い女性と結婚するときは、生まれた子供のカーストは上がりますが、女性が高い場合は子供は、夫の低いカーストに属する事になるので、カーストの高い女性ほど結婚相手に苦労します。美人で気立てのいい彼女が縁遠かったのはそのせいでもあったようです。アイーシャさんのお相手は、コンピューター・エンジニアで、外資系企業に勤め、海外赴任という、今のインドの若い女性の3高の条件を満たす魅力的なハンサム・ガイでした。婚約から結婚式までの2ヶ月間、毎夜インターネットで、ボンベイ〜ワシントンのチャット(おしゃべり)デートを思う存分して愛を深め、将来を語り合ったのは、新しいインドの結婚事情かもしれません。婚約期間中、たくさんの婚礼のための儀礼や、挨拶に忙殺されながらも、着々とチャットで愛を育んでいた様です。結婚しても、勉強は続けたいし、絶対に専業主婦にはならないから!と断言していた彼女は、今ごろどんな新婚生活を送っているやら…。手紙の返事を待っているところです。


● スニルさんの孝行息子 ●

 お父さんの会社のナショナルスタッフ(現地従業員)から、「ぜひ、ぜひ、ご家族で食事に来てください。私の妻は、料理が得意ですから。」という招待をよくいただきます。よほどの事ないかぎり、必ず喜んで、家族で伺うことにしています。その一人、スニルさんは、なんと、M社ボンベイ事務所に、お父さんと同期入社の大ベテラン社員。大学1年生と、高校2年生の息子がいます。

 奥さんは、結婚後、大学に通ってコマーシャルを専攻し、今は、カレッジで非常勤の講師として働いていて、夫婦共稼ぎのインドの典型的な中産階級。会社から電車で約1時間の郊外、親から相続した2LDKのフラットに、家族4人で住む、インドでは少数の核家族世帯です。カラーテレビ、電話、冷蔵庫などの家電品も揃え(エアコンはない)、週末や休みを利用して、家のあちこちを改装したり修理しながら大事に住んでいるそうで、狭いながらもあたたかい感じがあふれた家でした。アメリカ人のように、インドの人は、初めてのお客にオープンハウス(家の中をくまなく見せてくれる)します。少ない家具や、カーテンも古いけど大事にされて使いこまれている感じが、とってもよかったです。ヒンドゥー教のなかの更なる自分が属する宗派のグル(教祖)の写真が、夫婦の寝室にマリーゴールドの花輪をかけて飾られています。息子の部屋には、大学生、高校生にもかかわらず机がなくてベッドだけ。本棚にも本はほとんどなくて、本は高価なので学生は、図書館で借りて使う事の方が多いんだそうです。とってもシンプル。でも、部屋の隅には、クリケットのバットが何本かあって、ここだけ男の子らしい感じがしました。

 食事が始まると、インド人の家庭では、奥さんは、絶対同席しません。キッチンで、たちっぱなしで、チャパティー(インドのパン)を焼き続け、お客と主人が食べている間中サービスに努めます。これは、お客としては、はなはだ居心地が悪いのですが、習慣でしかたありません。前に伺った家で、何度か一緒にと薦めましたが、メイドがいるお宅でも駄目でした。

 そして、今回は、この家の息子二人が、お母さんの指示にしたがって、お給仕を甲斐甲斐しくすることといったら。今時の日本のティーンエイジャーの男の子で、お客さんに、ジュース運んで来たり、カレーを運んで、サーブしてくれる子がいるでしょうか。「インドの男の子はみんなこうなのですか。よく手伝いますね。」と感心したら、「当たり前でしょ、親を敬い大切にするのは。家族として、家の事は何でも手伝います。そういう事で、反抗したりしません。」ときっぱりお父さん。男の子達もお父さんの威厳を前に、敬う態度この上なし。反抗期はないのかしらと心配になるくらい。

 食事が終わっても甲斐甲斐しくお皿を下げる彼らに「よかったら、座って話しましょう。」と誘ってようやく話し始めてくれました。学校の様子やスポーツの話をしながら、それ以外の時間は?と聞くと、家の手伝いをしてる。野菜を買いに行ったり、部屋の掃除とか。ぼくの家では、通いのお手伝いさんしかいないから家の仕事は、兄弟で分担してるなんて聞いたからもうびっくりです。(ヒンディー映画にも親孝行な、とくに母親思いの好青年がたくさん登場します。息子の鏡がインドにはいっぱい?)将来は、お父さんのような立派なビジネスマンになるのが夢だそうです。お父さんは、素晴らしい、絶対権力者という感じで、接していました。お父さんの威厳(今日本では死語ですね)と父への尊敬、お母さんへの思いやりが、この青年たちに満ち溢れていて、私は、かなりびっくりしました。

スニルさん一家と 「うちの子だけじゃありませんよ。インドではみんな親と先生を敬います。」といわれました。夜がふけて、私たちが帰る時、この孝行息子たちは、外へ送りに出たお母さんを気遣って、ドゥッパター(肩掛けショール)を奥の部屋にとりに行き、お母さんの肩に優しくかけるではありませんか…。はぁー!とため息。車に乗って、すかさず私は「太郎!見た?あのお兄ちゃんたち…。」「わかってるって。偉いよね…インドの子はでしょ!言うと思った。インド人の子どもは、まじめ過ぎるよ…やんなっちゃうな。」「爪の垢煎じてもらおうか?」「かなわないなぁ」インド人の子供は、切れたりしないんだろうな、きっと…。どういう育てかたしたらこんな好青年になるんだろうか…。そんな思いがよぎった晩でした。

              
● 我が娘は異端児 ●

家族ぐるみでお付き合いのある取引先のサンジェさんには、目にいれても痛くないプリヤちゃん(中2)という麻子と同じ歳のお嬢さんがいます。ボンベイ版聖心女学院、ヴィラ・テレサという修道会のミッションスクールに通うお嬢様。

 ある日,一緒に、ヒンディー映画を見て、中華料理店で食事中、ベジタリアンのお母さん、ノンベジだけど豚と牛肉は食べないお父さんが、「うちの娘は何でも食べる。近頃の若い娘たちには困ったもんだ。この間も、友達とステーキ食べてきたんだ。我が家の異端児、不浄なやつでね。」と冗談ぽく嘆いていました。

 西洋化が進み、お金持ちの子供たちは、欧米の料理に果敢に挑戦して宗教的戒律に従わなくなっているそうです。私が、映画の女優の話から転じて「今度もミス・ワールドはインドね。インド女性は、肌がきれい…ベジタリアンだし、水をたくさん飲んで、新陳代謝がいいせいかしら?羨ましいわ。」といったら、プリヤちゃんのママ、鋭く娘を睨み見て、「プリヤ。マダムYukkeがなんておっしゃったか聞いた?インド女性は、ベジタリアンだからお肌がきれいってお褒めをいただいたわよ。ママがいつも言ってるでしょ。あなたはいつもママの言うことを無視して何でも食べちゃうけど…。」とたしなめる一幕があったりして。

でも、プリヤには、しっかりした夢があってハイスクールを卒業したらニューヨークに留学して商学を専攻し、パパのビジネスを継ぎたいと思っているのです。早口な英語(プリヤの母語は英語)で、しっかり語ってくれました。それには、堅苦しいインドの宗教規範なんかに縛られていたら駄目なのよ。ということらしいです。

 サンジェ夫人もプリヤを出産後、子育てが一段楽して1994年から、御主人に出資してもらってコンピュータのソフト会社を立ち上げ、順調に大きくなり、昨年は御主人以上の収益を上げたそうです。「最初は、精神的に主人からインデペンデンス(自立)したかっただけなんだけど。」と謙遜してましたが。「すごい!私も少しだけ日本で働いてたのよ。夫からのインデペンデンスって大切よね。」といったら、「結婚後も仕事をした事のある日本女性に初めて会ったわ。日本では専業主婦がメジャーでしょ?」と聞かれました。(ボンベイ駐在の日本人はサラリーマン転勤族が多いためサンジェ夫人が会った事のある人は、専業主婦が多かったのでしょう。)インド人の女性は、結婚後も大学に通ったり、新しく仕事をはじめたりする事をごく普通の事として受け止めていて、家事が、使用人に任せられるという利点を多いに生かして、いろいろな事挑戦しています。結婚や、子育てで自分の夢をあきらめたりしない様です。「一人娘を留学させるのは、今からスゴック心配だけど、見守るのも親の務めかな?」なんて、つぶやくサンジェ氏。麻子と同じ中学2年生ですが、母語は英語といってはばからず、自由にのびのびと、怖いものなしの現代っ子で、ママのようにビジネスできる女の人なりたいというプリヤ。新しい事に果敢に挑戦していく、プリヤたちの世代が、インドを変えて行くのでしょうか。


これらは、ほんの一握りのインドの人たちとのエピソードです。これがインドというサンプルは、インドにまったくないくらい多様なので、断言できませんが、今の日本と比べてみると考えさせられる事があります。世代交代の中にも変わるインド、変わらないインドがあるようです。インドの友人たちも「インドが好きです。」という私には、とっても好意的で自分の考えやインドの文化、家族への思い、夢を話してくれます。よく、インド人は、主張が強くてとか、必ず計算が裏にあるといわれるけれど、そういう思いは今のところあまり感じない付き合いでうれしい限りです。もっと、インド人のお友達ができるといいです。 

(2000年7月31日)



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