私たちの住むムンバイ

我が家のジャイプール アグラ


インドと聞いたら、タージャマハール。
これを観ないとインドへ来たとは言えないなんていう人もいます。
ボンベイの日本人学校は、土曜日が休日でない事が多く、
その上、典型的な日本人ビジネスマンのお父さんもお休みが取れないので、
なかなか国内旅行ができません。
ようやく、念願がかなって、デワリ休みに北インドを旅行する事になりました。

★ ジャイプールのマハラニ ★
ボンベイから飛行機で約2時間半。ラジャスタン州のジャイプールは、18世紀始めに、この地に勢力を持つジャイ・スィン2世によって作られた砂漠の中の城壁に囲まれた街です。別名ピンク・シティー。マハラジャ(王様)が、長男誕生を祝って、街中を赤(ピンク)で塗らせて以来、今もって街中がピンクの建築物です。砂漠地帯の北インドは、独特の染物のサリーがとても美しく、絞り(染織史ではインドが発祥地です。)や、小さな鏡を刺繍でとめたミラーワークのサリーが有名です。今回の旅でも、赤や緑、黄色などボンベイではあまり見られない、原色のサリーを着た人たちが、水瓶を頭に乗せて、道ゆく姿をたくさん見ました。
ジャイプールの歴史的背景を少し説明すると、16世紀に、この地に勢力を伸ばしてきたムガール帝国(モスリム教の国)に対して、国境を接するこのヒンドゥー国(カッチャワ藩王国)は、いかにこの新興国と上手く均衡を保っているかというのが、当時の藩主にとっては、一番の問題でした。その強国の支配下に入るのを拒否するか、隷属するか。カッチャワ藩王国は戦う事を避け、反対に、ムガル帝国への忠誠を誓いました。モスリムとヒンディーをミックスするような新興宗教や建築物が、この国の特徴です。ジャイ・スィン2世によって、ジャイプールに遷都されるまで、たくさんのお城がラジャスタンにはあり、今回は、それらのお城を見学しました。

 お城の解説については、ガイドブックでも見ていただくこととし、今回の旅でジャイープールのお城巡りをしている時に、興味を持ったのが、、ジャイプールのマハラニでした。マハラジャは、藩王の事(マハ=偉大な、ラジャ=王)その妃がマハラニです。どの戦国史にもあるように、当時の女性たちが、その政略の道具として、結婚を強いられたのは、インドとて同じこと。まして、ムガール帝国や、近隣のペルシャなどからたくさんの妃たちが、歴史に翻弄されました。イギリス統治時代は、イギリスの支配下になったり、独立後は、日本と同じようにマハラジャ達は、その地位を奪回されました。ジャイプールには、歴代、有名なマハラジャが素晴らしい統治を行なってきて、特に、マン・スィン2世は、戦前最後のマハラジャとして、ジャイプールの市民たちの絶大なる支持を得ていました。ジャイプールのマハラジャが、イギリスへ、渡った時に持参した、ガンジス川の水を入れた銀の大壷は、特に有名で、当時のマハラジャの権力を象徴しているかのようです。戦後、マハラジャ達は、自分のパレスをホテルに買えたりしながら、今も、各地方の人々に愛される存在です。

 ジャイプールを旅行中、どこの書店でも目に付いた本がありました。(英語版) 戦前・戦後を通じて、マン・スィン2世の第3王妃になった、ガーヤトリー・デヴィというマハラニの書いた回想録です。当時のインドの(いや、世界の)社交界に咲いた大輪の赤いバラ、ケネディー大統領に、世界一美しい王妃といわしめた、素晴らしく美しいマハラニです。東インドの藩王国(コーチ・ビハール州)にマハラニとして生まれ、英国式の教育を受け、ジャイプールに嫁ぎました。宮廷内の嫉妬や、権力闘争、華麗な生活、そして戦後は、ラジャスタンの社会福祉運動に積極的に取り組み、政治家としても活躍しました。
 現在ジャイプールのお城の多くは、ホテルや博物館になっていて、当時のロイヤルファミリーの生活を垣間見る事ができます。ベルサイユやエルミタージュに負けないほどの、素晴らしい宮殿や、当時の宝石や衣装に、目がくらみました。マハラジャや、マハラニというのは、事実上はなくなった位ですが、こうした、ロイヤル・ファミリーの歴史を紐解くと、インドの諸国の変遷がわかって興味深い物になりました。ぜひとも後世に伝えたいものだと思います。
今年夏にNHKが、「滅び行くマハラジャたち」という、ドキュメンタリー番組を作り放映したそうです。ご覧になったかたからのお便りによれば、大変興味深い番組で、没落寸前でも、気位を捨てないマハラニや、多角的にホテル経営に乗り出すマハラジャなどが出演していたそうです。

ガーヤトリー・デヴィの回想録は、既に日本でも翻訳されて、出版されています。興味のある方は、読んでみてください。インドのダイアナ妃こと、ガーヤトリー・デヴィ著「インド王宮の日々・マハーラーニの回想」(粟屋利江訳、東京リブロポート)です。インターネットの検索によれば、残念ながら、出版社の倒産で、今は絶版ですので、図書館で借りてくださいね。


★ タージマハールが霞んでいる ★

「私が死んだら、世界一大きくて素敵なお墓を作ってね。」といったマハラニもさることながら、本当に国が傾くほどに財宝を費やして、世界一の総大理石のお墓を作ったマハラジャもすごい。この愛の深さを思ってクラクラしてしまう。世界の豪華建築物の一つ、タージ・マハール。

ムガール帝国5代目のシャー・ジャハーンは、若くして、ペルシャ系の妃ムムターズと結婚、18年の間に14人の子をもうけ、最後には、最愛の王妃は、産褥熱で、34歳で死んでしまう。その後、ムムターズの遺言どおり、22年の歳月を費やして、造営した霊廟が、タージ・マハールです。建造されたのは、1632〜55年で、これは、ベルサイユ宮殿や、ローマのサンピエトロ寺院、京都の桂離宮、日光の東照宮と、ほぼ同じ頃だそうです。「真珠の涙」と呼ばれるタージ・マハールは、本当に白亜の総大理石で、美しい、美しいこと。アー!本当にこんなに愛されていたのですね。結婚生活18年といえば、我が家と同じ・…比べる事じたい無理だけど、果たして、22年も費やしてお墓を作ってくれそうにはない…。シャージャハーンは、この後、息子にそむかれて、幽閉されてしまい、アグラ城からタージを眺めながら晩年を暮らします。本当は、タージ・マハールぎわのヤムナー河対岸にタージ・マハールとそっくりの自分のお墓を黒大理石で作る予定だったそうです。その夢はかなわず、今は、ムムターズの隣に夫婦仲良く眠っているそうです。本当にそうなっていたら、どうでしょうか。歴史の皮肉さを感じました。シャー・ジャハーンが幽閉されていたアグラ城からも、タージを見てみました。しかし…残念な事に、インドの冬は、スモッグがひどく、ぼんやりとしかタージを見る事ができず、がっかりしました。アグラ近郊の工場からの排煙もあり、この世界遺産も深刻な危機を迎えています。

 さて、タージ・マハールの感想は、インド・イスラム建築の最高傑作で、確かに素晴らしい建築物でしたが、今一つ感動が得られなかったです。というのも、これが、お墓であったからです。例えば、お城や、寺院となれば、そこに魂や、生活の息づかいを感じる事が出きたでしょうが、いくら素晴らしくともお墓…モニュメントのせいでしょうか。タージ・マハールができた理由もロマンティックですが、なんだか、感動がなかったのです。それをインド人の友人に話したら、「私もそう思いました。大きさには、感動するんだけどね。」と言っていました。世界遺産タージ・マハールは、ピンときませんでした。

タージ・マハールからの帰路、もう一度タージを振り返ると、またここに戻れるそうです。ヒンディー映画のセリフには、よく「君にタージマハールと送りたい」とか、「貴方の心のタージに私を入れて」なんていう、ロマンティックなセリフがあります。インド人の直接的な本当に屈託のない愛情表現をタージマハールに見た気がしました。
(2000年10月26日)



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