私たちが住むムンバイ

悲しい出来

 “使用人”、これは、インドに暮らすマダムにとって一番頭の痛い問題です。優雅〜なマダム生活を送れるかどうかは、すべてこの使用人問題いかんに、かかわってきます。前任地ジャカルタで、20代の新米ニョニャ(インドネシアではマダムじゃなくてニョニャと言う)だった私は、4年半に7名ものメイドをとっかえひっかえ、「メイドに泣かされた」若くて苦い経験があるのだ。だから、インドではメイドとの関わりかたも堂にいたものだったと思う。時にはおだてたり、ほめたり、噛んで含むようにじっくり教えたり、怖がらせるくらいに厳しく注意したり、20代の頃、自分も人間としてかなり未熟だったこともあって随分悩んだり、悲しんだりしたことも、年齢を重ねたせいか、(自分の成長はともかくも)使用人との暮らし方に戸惑うこともなくなってきた。
 我家の場合、子どもがいるので、使用人は、「子どものための使用人」ではないということを家族の決まりとしてきた。だから、部屋の整頓や、おもちゃの片付けも使用人には絶対に頼んではいけない。メイドさんを呼ぶときも、○○さんと「さん」付けで呼ばせてきた。物を頼むときは必ず、「○○さん、プリーズ、××」を言うように、徹底させてきた。間違っても「シャムラー、麦茶!」なんて言わせてはならないと思っていたからだ。プリーズを言わないと、使用人に対して、子どもが高飛車に出るし、インド人を見くびる態度が身近で起きてしまう懸念があったのだ。

 ボンベイに住んで、早くも3年が経ちました。路上生活者も、物乞いも今では、見なれた光景で、インドの貧しさに麻痺してしまった感じがします。10億人のうち半数以上が、住む家や食べ物に事欠くインドですが、また、この人口を支えていることができるのもインドです。

 旱魃や災害、宗教対立や、テロで、年がら年中死者400名とか、700名とかいうテレビの報道があったりしても、いつものことゆえに、「またか」といえるくらい悲しい出来事にたいして感覚が麻痺してもいます。日本だったら10名もの人が亡くなったら、大事故で大々的に報道されるのに、インドでは新聞の片隅にちょこっと載ってお終い。わたしたち家族が「人の尊厳が一体どうなっているのか」と戸惑っていたのは、ずいぶん前のような気がします。こんな事に慣れきってしまっていいのかしら?と自問する日々です。

 そんな3年目のが終わろうとしていたある日の出来事です。
私たちの住むフラットは2年がかりで外壁の大工事中です。28階の我が家の窓まで足場が組まれ、外壁のコンクリートの補修が連日続いています。日雇いのワーカーと呼ばれる工事の職人さん達は、ヘルメットこそかぶっているものの、命綱も付けずに、まるでお猿さんのように、足場を登って来ては、コンクリートを剥したり、新しく拭き付けたりしています。時々、窓越しに目が会うとニヤリとしたり、日本人が珍しいのか、何人もの好奇心の固まりのようなたくさんの目玉が並んでいたりして驚かされます。彼等は1日80ルピー(約240円)で、雇われています。中にはサリー姿の女性も混じって、砂やセメントを運び上げています。

 ガラス窓をガンガン叩いてくるので「キャー?(なあに?)」と聞くと、さかんに親指をおしゃぶりするようなしぐさで「パーニー、パーニー(水、水)」というので、空き瓶に水を入れて何度か差し入れてあげたことがあります。炎天下、それも高いところでずっと作業するから喉も乾いても下まで降りるの大変ですからね。
外壁だけでなく、それに伴って、お風呂や、トイレの配管工事もおこなわれました。
 いつもは窓越しに見ていたワーカーさんたちですが、お風呂の配管工事の為に年中家に出入りするようになりました。メイドさんの忠告で貴重品を全てしまい、家中の家具に覆いをかぶせて盗難を防ぎます。彼等の作業中はメイドさんが常に見張りに立ち、家内のものがなくならないようにしなければいけないと言われて緊張しました。でも作業中に床を掃いた女性のワーカーが、私がずっと前になくしたピアスのキャッチ(ピアスのとめ具)を見付けて届けてくれたりして、貧しくたって気持ちは豊かよねと、ビスケットをあげてお礼したりしました。何しろ無くなったとばかり思っていたものが出てきたのですから・・・。

 お風呂の工事は既に1年経過しましたが、34階建てのフラットの配管をとりかえるのはまだまだかかりそうです。大理石のお風呂の壁には今でもぽっかりと穴があいて、配管が丸見えです。
そんなある日、お風呂場にあるミネラル・ウォーターのビンが開けっぱなしで、白いプラスティックのコップには黒い指のあと。「あれ?」と思って、メイドさんに「今日はワーカーが来たの?」と聞いたのですが、「いいえ」とのこと、息子がサッカーの後触ったかも、とその日はそのままにしました。
 翌日、お父さんが「僕の、オーディコロンが無いけど。」というではありませんか。
メイドさんと、掃除のスイーパーさんが、「昨日、14歳くらいの男の子がバスルームにいたけど、配管工事で他の階に上るのに休憩していたよ。」といいます。
 
 さぁ、それからが大変です。メイドさん達はすぐにフラットの管理事務所に連絡し、あっと言う間に参考人ならぬ容疑者になった14歳の少年が連れてこられました。
フラッットの管理人さん、工事現場の監督さんが少年につめよります。少年はがんとして「僕じゃない」と言い張りました。業を煮やして監督さんは、挙句の果てに、打ったり、蹴ったりしはじめました。「止めて」という私達をよそに、白状しろと迫ります。
少年は固く丸まって、小さくなっています。
 
 ついに、メイドのシャムラーさんが、
「昨日、バスルームにいたでしょう?あれはSirの大事な物なのよ。あなたが盗ったとしたら、正直に言いなさいね。あなたは自分の服が汚くて、良い香りにしたかったのでしょう?欲しいなら私のを少し分けてあげますよ。でもね、もしも盗ったのなら返しなさいね。Sirは外国人なの。あなたがそんなことしたら、インド人はみんな悪く思われるわ。それに、このことが上手くいったと思っていたら、あなたはこれからも盗みをして、ずっと盗みをして生きていく事になるでしょう?」
と、それはそれは優しく言い聞かせました。

 少年はコクンと小さく頷きました。周りの監督さんや、管理人さんはびっくり、まさに北風と太陽です。シャムラーさんは小さい頃に両親を無くして、少年と同じように辛い環境で生きてきました。ただ幸いにもキリスト教教会に拾われて、育ったので曲がらずに来たといいます。さすがに毎週欠かさず日曜礼拝に通うシャムラーさんです。
 
 翌日、お父さんのオーデコロンは管理人さん経由で戻ってきました。
でも、私達家族は、とてもとても切なくて、悲しい気分になりました。
盗みを働いた少年は、うちの太郎とほぼ同じ年頃です。学校にも行かず、砂運びの仕事をしていました。たまたま、配管を登ってきたら、洗面所にオーデコロンがあり大きな鏡に写った自分の身なりが悲しかったのでしょう。出来心というやつです。

 14歳になった太郎は日本に帰国するたびに、お小遣いでシーブリーズや、男性用シャンプーを買ってきています。小年も太郎と同じようにおしゃれがしたい年頃だったのです。

 このあと、確かめてはいませんが、この少年が首になったのは間違いないでしょう。
今思えば、配管工事の穴が開いていた所に、出来心を誘うものを置いていたのが悔やまれます。
 インドには、そこら中に貧しさが蔓延していますが、シェルターの中で暮らす駐在員の私達は、大変だ、大変だといいながら日本的な生活様式(衛生放送でNHKを見て、取り寄せた日本食を食べ、自家用車で買い物をし、日本人学校へ通っている)でインドで暮らしていくうちに、貧しいインドにいることを感じなくなっていたのかもしれません。こんなに貧しいインドにいて、いつのまにか、周りの人の貧しさに慣れてしまって、知らず知らずに現実を見ないようにしてきた気もします。

私達には、この貧困をどうしてあげることもできませんが、つい身近に起きた、この出来事が、今一度、インドの貧しさへ思いを寄せる出来事となりました。

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