ボンベネーゼがゆく

ある日突然の海外転勤、それもインド!

「なんで、私がインドなんかに行くのよぉ。あなたと結婚した時は、
まさか、インドなんかに行くことになるなんて思ってもみなかった…」

と、夫の首をネクタイで締め上げながらも、ついて来てしまったインド。
 マサラの匂いがたちこめる廃墟のようなボンベイの街を、物乞い蹴散らし闊歩する。
異文化体験、カルチャーショックも何のその。
泣きたい日もたくさんあるけど、なんとか前向きに暮らすのが、
ボンベイに住む日本人マダム、ひとよんで「ボンベイネーゼ」でごさいます。
 さぁ、今日も元気にボンベイの街をボンベネーゼがゆくのでございます。

ヒンズー教の寺院へ参拝する断食をする日本食フェアをする
救援物資をおくるネズミに固まるゴキブリと闘う
インドエステを体験する憐れみを乞う
このページはボンベネーゼ(駐在員マダム)の寄稿によるページです。


         ボンベネーゼ、憐れみを乞う ●マダム YUKKEの場合●

 インドでに住んで「切れない」で暮らすというのは、聖者のような人だけです。何事も思うようには運ばない、日本と同じじゃないと自分に言い聞かせてはいても、インド的トラブル…断水、停電、物が壊れる、忙しい時に限ってメイドが休むというような事が、時に重なって起こると、お気楽マダムのYUKKEといえども、堪忍袋の緒が切れて、ボルケーノ大爆発、留めのネジはぶっ飛んで、怒り、荒れまくり、憔悴し、ヒステリー状態になる事もしばしばだ。よい子ぶっているつもりはないけど、実はこの不満、私のベッドルーム内に留めている。決してインド人を叱責したり、メイドや使用人に当たったり、日本人の友人に愚痴をこぼさない。これは私と、夫のポリシーです。だって、カッコ悪いじゃない?声だかに不満を言い触れ回るのは。インドの悪口って聞くほうも辛いしさ。しかし、これをストレスと認めないと、お腹が膨れてしまいます。そこで、こうした局面に遭遇した時の私はどうするか?その対処法。
 実は、今日は大事件が起きた。トイレの水がものすごい勢いで水柱を上げて、私を襲ってくれたのだ。それも使用後、ウン○をした水を流した時に惨事が起きたのだ。もう、これだけで事態を察してもらえると思う。そう、大きな音を立てて、私のどこかが切れた。ブッチン!
 たとえ自分のウン○といえども、排泄物を体いっぱい浴び、バスルームは水浸しで、あっという間に浸水。水はなおもいきよいよく溢れだし、浮遊物を床一面に漂わせてくれた。「ヒャ〜、シャムちゃ〜ん」と叫ぶ私。メイドが飛んできて、一緒に叫ぶ「アイヤ〜、マダム、キャ…ホガヤ!(何がおきたの)」「アヨ〜(あらら)」って、雑巾探しにひき返すシャムラーさん。私はボー然と立ちすくみ、鏡に映った憐れな姿を見て、腑抜けのように笑いが止まらない状態に。もう、ヘラヘラしちゃてフニャ・フニャ。
 シャムラーさんがくれたタオルで顔だけをこすり、びしょびしょのまま、目指すはフラットの管理事務所だ。エレベータのリフトマンが私を見て、ビビル。「マ、マダム、キャ?」…。ヘラヘラの私はにっこり笑って、「コイバット・ナヒーン (お構いなく)」。エレベータのなかで、19階から乗り合わせたドイツ人の奥様に、目を丸くされて「どうしたの?」と聞かれても、「いつものことなの」と苦笑いしながら答えれば、「あー、またなの?」と思いきりの同情の表情を浮かべてくれた。
 そう、34階建ての我がフラットは、昨年のリノベーションの配管工事のあと、高層階までの水の供給に高圧配水システムが上手く作動しない為に、断水の後は、配管に空気が入り、配水が再び行われるたびに調整弁が、水圧でぶっ飛び、トイレの水は爆裂して吹きだして止まらなくなり、温水器も爆裂し天井から漏れてきて、毎回バスルームは水浸しになるのだ。水道の蛇口の栓もいかれてしまう。この事態は見事に定期的に起きてくれるのだ。忘れたころに、いつも。
 工事が終わって、約1年たち、その間に6回の大爆裂。小さな爆裂を入れたら、数え切れない。しかし、今日の惨事が一番ひどかったの。トホホ…もろに、浴びたからね、ウン○の水。
 私は深呼吸して、管理事務所のドアを開け、うつむき加減に、泣き出しそうに小さな声で言ったのだ。「プリーズ ヘルプ ミー、セント サムバディ」って。管理事務所のマネージャーとスタッフは私の姿を見て、一斉に立ちあがった。そして、いつもになく優しく尋ねてくれたの。
「ワット ハップン、マダム?」
 そう、私は見事にみんなの同情を目いっぱい集めた。駆け足で、私の後から水道工事人や、マネージャーや、スタッフがついて来た。インド人はお節介だから、困っている人を絶対見捨てないんだ。今日はいつになく早く修理が終わったの。
文句を一言も言わなかったのに…だ。私には、もう、とうの昔に堪忍袋の緒はないのかもしれない。そう、しなやか〜にインドに巻かれて暮らしているのだ。


     ボンベネーゼ、インドエステを体験する ●マダム YUKKEの場合●

 インド・マダムの仲間入りをして、一番嬉しかったことは、自分の時間がたくさん出来た事。日本にいれば、家事と育児に忙殺されて、自分の身なりにかまう余裕はないけれど、使用人に恵まれれば、インド的な時間の余裕が生まれる。エステやらインド式のマッサージに費やす時間もたっぷりうまれる。「おーおー、インドにいてエステ?お気楽でいいですね!」というバッシングが飛んできそうだけど、時にはこんな贅沢も許されるのじゃないか?と自分へのご褒美とばかり、インドエステを探求し始めた。
 何しろ、インドは紫外線が強いし、日本の4倍の夏を送っているわけで、勢い肌の老化はすごいスピードで進んでいるはず。暑さと涼しい部屋との出入りで、からだの自律神経はとっくにいかれていて、40路の私にとっては、「冷えのぼせ」と言うような、「ぎょっ、早年性の更年期?」を思わせる症状さえ起きる始末だ。ポポン○○というのを飲んでみようかなとか、エステー△△の美白トータルライン使いとやらもお試し中なれど、インドの過酷な環境と、お気楽マダムと言えども在外に暮らすストレスは半端じゃないのだ。
 
 最初にトライしたのは、邦人ご用達の「指圧系」のおばさんだったが、これは私には強すぎて、揉みかえしの痛みがきて、即座にあきらめた。
 次ぎにはタージマハール・ホテルで勤続20年のマッサージおばさんのオイルマッサージ。市販のアーユルベータのボディーマッサージ・オイルでのマッサージ。これは結構、病みつきになる。タージマハール・ホテルでは、おもに、宿泊客の各部屋でマッサージをしているために、部外者へのサービスはしていないので、自宅へおばさんを呼んで行う事になる。ベッドにビニールシートをひき、その上にシーツを広げ、生まれたままの姿で、約1時間。足の指から始まって、頭の先まで、ゆっくりと、しっとりするまで(決してベタベタしない)体にオイルが染み込むようにやさしーく撫でてくれる。
 この歳になると、足のむくみや、汚血というのだろうか血の巡りが悪くなるし、暑いからとたくさん採る水分が体に溜まってしまう。バスタブがないインドでは、ゆっくりお風呂に漬かる事もままならないから益々症状が悪化するのだ。このマッサージは、そういった女性特有の症状の緩和にはもってこいのもので、毎週の癒しになってしまった。
 それもそのはず、インドでは、出産後必ず、こうしたマッサージをする。妊婦の子宮の快復を早め、体を温め、授乳のためのおっぱいのマッサージも兼ねるのだから、オイルマッサージャーは、女性の体の事が良くわかる、いわば助産婦か産婦人科医が施すマッサージに近いと言えるのだ。インドの色々なアーユルベータのマッサージオイルを試してみたが、一番のお気にいりはBiotiqueのCitronella Oil(レモングラス)のエッセンスオイルだ。あまり市販されていなくて見つけた時には、買いだめてしている。その日の気分によってサンダル・ウッドやイラン・イランのインセンス(お香)を焚き、ヒーリングミュージック(チベット音楽やサントゥールが多い)をかけている。

 エステは、これまた邦人ご用達のジュディーちゃんをご指名していた。ココナッツ・シュガーを煮付けて作ったリームーバァーでの手足の脱毛。インドの最大手化粧品ブランドLAKMEのディープクレンジングと同じくLAKMEのマッサージ。アイブロウやヘアダイにも相談に乗ってくれるしぺディキャや、マネキュアなんどのネイルエステも出来る。でも今ひとつ、スキル不足と、LAKMEという事がネックになって、満足感は得られなかった。LAKMEはタタ・グループのオーナーに嫁いだスイス人のお嫁さんが作ったコスメで、今はリーバに買収されてHindustan Leverになってしまった。長いことインドの化粧品のオンリーワン・TOPコスメでありつづけたけど、日本で言ったら、スーパーに並ぶ安めの化粧品と言った感がぬぐえず、今ひとつって感じだった。

 しかし、インドセレブのマダムからのご紹介でこの度、シャナーズ・フセインのホームエステを体験する事になった。セレブマダムは美容院やエステサロンに足を運ばない。保守的なインドでは、美容も自宅でするのが一番の贅沢。使用人もいるし、一番リラックスできるのが自宅と言うわけで、勢い、腕のいいエステシャンは口コミで引っ張りだこになるのだ。上手なエステシャンには、1日4軒以上も掛け持ちすると言う人もいる。紹介してもらったシドさんは、中東の出稼ぎでその技術を磨き、シャナーズのスキルも持っている。シャナーズ・フセインはインドのハーバルエステの女王と言われて、さしずめインド版・鈴木その子といったところか。商標には、必ず彼女の顔写真入りなのだ。インド国内はもとより、イギリスなど欧米でも有名で、一時期はロンドンのハロッズの化粧品売り場で売上ナンバーワンだったといわれている。
 このブランドの一番の目玉は、24金入りのゴールドクリームとマスク。

 
シャナーズ・フセインのゴーグドクリーム(左)とマスク(右)
 さっそく、丁寧なディープクレンジングをしてもらった。あー、夢心地。友人マダムの言うとおり、彼女の指は丸で魔法の羽のようだ。スチーマーを3分ほど当てて、毛穴を開き、いよいよ、ゴールドクリーム登場。クリームは普通のマッサージクリームとゴールドの入ったジェルの2層になっていて、少しづつ2つを混ぜ合わせて水を足しながら、マッサージする。すごく気持ち良くて、ものの数分で意識がなくなってしまったほどだ。20分ほどマサージをしてもらい、つづいて、ゴールドマスク。シャナーズの製品はすべてが天然素材で様々なハーブをインドのアーユルベータの秘訣を網羅しながら開発したコスメであるために、香りも使い勝手もとってもナュラル。しっとりしてとてもみずみずしい肌になった。最後は、氷で冷やした冷たい手でマッサージを続け毛穴を引き締めて終わり。でも、この時期、まだ暑かったので、保湿や潤い成分がおおい、ゴールドクリームは、今の時期、日本人の肌には重すぎた感じがする。インドの友人も、暑い時期は控えみに使い、涼しい乾季には、毎日使っているそうだ。うーん、当分、これにハマリそうだ。
 インド人にとっての美白は、いわば美人の条件。これまた、友人たちは、感心がとても強いのだが、やっぱり、強いブリーチでの事故などを恐れて、専らアーユルベータや、昔から言われてきたハーブのブレンドの美白剤を使っている。今回、私もシドさん秘密の「美白の粉末」を8日分いただいてきた。生の牛乳でといて、シミのある部分に、30分ほどパックするようになっている。成分について根掘り葉掘りしつこく聞いたが、やっぱり教えてもらえなかった。
今、「中村うさぎ状態」に陥ったYUKKEは、この謎のインドの「美白の粉末」をお試し中。長年のシミが少しでも薄くなったら、また御報告します。

  ボンベネーゼ、ヒンズー教の寺院へ参拝する ●マダム ワラビの場合●

ドゥルガー・プジャーなので、ボンベイでドゥルガーを祭ってあるマハラクシュミ・テンプルに行って来ました。ドゥルガー(「近づきがたい女」っていう意味)は、10本の手を持ち、ライオンに乗った女神。戦いを好み、殺戮と破壊の女神です。現代では、反対に美しい女性のシンボル、女性がこぞってお参りに行く神様。

お寺は、昨日から大勢の女性の参拝客で賑わっています。
参道にはお供え用の「ココナッツ、蓮の花、米、入り豆(ヒヨコマメ)、クムクム(赤い粉)、マリーゴールドの花輪、紐、お備えのサリー(小さい布切れ」がセットで売られていて20ルピー。これを買い求めて、列に並びました。ボランティアや、婦人警官が、がっちりガードする女性だけの長い列。なんと参拝客は男女別れて並びます。それも女性の列の方がすごく長い。500メートルくらいの列に並ぶ事20分。入場制限がしかれ、男女交互にお寺の中には入ります。これが、デズニーランドの行列のように、しっかり杭で仕切られていて、迷路のようでした。

どこのお寺もそうだけど、ここにも長い階段があって、この階段を上る前には、地面に指でタッチしておでこに触る挨拶が必要です。
(前のおばさんのまねをして、そうしたら、回りの人に「そう、そう、良く知ってるね」と褒められる)足腰のヨボヨボのおばあさんの手を引く孝行息子がたくさんいますね。なんていい光景なんでしょうか。

お寺特有の下足番にサンダルを預けて、再び列に戻ろうとしたら、警官に呼びとめられて、カメラとCDプレイヤーを預かると言われてしまった。
「ノー・プローブレム!オンリー・プジャー(だいじょーぶよん、お祈りだけよん)」と、さっとかわし、列に飛び込む私。インド作法にも大分なれてきた。後ろの気のせくおばさんにドンドン押されながらも、列が進んでいくと護摩をたいたところに来る。これまた前の人の真似して、護摩を手に受け煙を浴びる。さらに進むと、ドゥルガーの乗り物ライオン。これにも触ってその手をオデコへ。前のおばさんが、振りかえって、私がチャンと真似してるか確認してくる。(ちゃんと、真似してるよ!)

いよいよ、祭壇の前。オレンジ色のルンギー(腰巻)のお坊さんブラーミンにお供物を渡すと半分備えて、後は返してくれる。
手を合わせようとしたら、これまた、婦人警官に「チョロ、チョロ(早く行け)」と、せきたてられる。御本尊は、金ぴかの立派なドゥルガーでございました。
再び下足番に戻り、2ルピー払って、サンダルを取り戻し、お寺の裏へ回り、クムクム(赤い粉)をつける。(みんなの真似して)これにて、お参り終了。

行きは緊張してよく見れなかった参道の出店。帰り道は、底抜けにおおらかに冷やかして歩きました。大発見。インド版おままごとセット。大興奮。ターリーセット、ガスコンロ、チャパティー・ボード、カトリ、ダバボックス、食器棚、ココナッツむきの包丁ボード、カップ、鍋これでしめて100ルピー。ひとつひとつが5センチ以下のかわいいサイズです。最後にお店のおじさんが、是非ともと薦めてくれたのが、プリンカップくらいのバケツとお尻洗いヒシャク(2cm)。きゃー、こんな物まで有るのですね。これもゲットして、あー面白かったマハラクシュミテンプル。生理中の女性のお参りはできません。

 ボンベネーゼ断食をする ●マダム YUKKEの場合●

インドの正月(デワリ)4日前の今日は、ロマンティックなKarva Chaut。
ヒンズー教徒の既婚女性は、夫の無病息災を願って、この日は断食をします。奥さん達は、今朝は日の出前に起きて、沐浴して身を清め、フルーツのみを口にし、手にはメンディーを施します。日が昇ったら、水さえ口にできまん。今日1日は、針仕事、刃物や鋏を手にしてならないことになっています。そして、月が昇ったらザル越しに月を眺めて(直接見てはいけない)夫の息災を祈るのです。宮殿などでは、池に写った月や水盤に水を溜めてそこに月を写して、願掛けをします。
お祈りが済んだら、ようやく食べ物を口にします。おもにパンジャーブやグジャラート地方が盛んです。私の友人の奥さん達も昨夜からメンディー・ワーリー(メンディー屋さん)を予約したり、今年の月が真上に来る時間を調べたりしていました。
厳しい断食に絶えて犠牲的な祈りを捧げて、夫の無病息災を祈る気持ちと、正月4日前の主婦にとっては忙しいこの時期に妻をゆっくり家事から開放していたわり、余裕の気持ちでデワリを迎えさせる配慮がある儀式です。(妊婦や月経中の女性はしません)
今日から各家の玄関にはランゴリーを言う砂絵が描かれ、夕方には小さな灯明が玄関や窓辺に飾られ、インド中がクリスマスの様になります。
デワリのラクシュミー女神(日本では弁天様・金銭に関する神)は幸せと繁栄をもたらしす祭りです。
……というわけで、私も今朝から夫の無病息災を願って(というより、ダイエットも兼ねて)断食中です。

 ボンベイネーゼ、日本食フェアをする ●マダム さっちの場合●

さっちプロデュースのJapanese Food Festivalを、The Tea Center(チャーチゲート駅)でしました。ここのオーナーのカカール氏は、ペプシなどのCMを手がける有名CMプロデューサーで事業家。親日家でもあるカカール氏の頼みで、ボンベネーゼ(駐在夫人)たちは、日本舞踊、茶道などの日本文化を、この店で紹介をしてきました。今回は、なんと「日本食フェスティバル」の依頼。

 掲示板でおなじみのさっちの企画のもと、焼き鳥定食、カジキマグロの蒲焼定食、揚げだし豆腐の野菜あんかけ定食、天ぷら、のり巻き、和菓子(イモ茶巾と牛乳寒)をランチタイムに堂々160食です。ボンベネーゼは浴衣を着たフロアー隊と、エプロンをした調理場隊にわかれて、インド人のコックや、ウエイターと、一緒に日本食をインドの方に知っていただこうと、大奮闘しました。前日は予約の電話はなりっぱなしで、100件以上もお断りする事になるほどの大盛況でした。

 お食事前にサーブしたお抹茶も大好評!マダム・シェフのYUKKEは、終了後、インド人シェフとがっちり抱き合って感激の涙でした。初めてインド人と一緒に仕事の汗を流した快感に浸っています。(御褒美にボリウッドにご招待いただく事になりましてまたまた、楽しみでございます。)

 ボンベネーゼ、救援物資をおくる ●マダム コアラの場合●

グジャラート地震の直後、ジャイナ教徒で、グジャラートにたくさん知り合いのいるセイジェルさんのフラット(地震のあった地域出身のグジャラティーが多い)で作業があると聞いて、手伝わせてもらいました。

一家族用に袋を作って送るということで、内容は
  米1kg、砂糖1kg、ダール(いろんな色があったが、決してミックスはない)1kg
  粉ミルクたぶん250g、紅茶(philipsだった)250g、これらをスーパーの袋に入れる
  ギー(牛乳からとった油)0.5リットル
  ドレスとサリー(ひもで十字にしばってある)
  一人用の敷物みたいな物(ブランケットと呼んでいた)4,5枚(これも十字に紐がけ)
  ターリーの器(お盆1カトリ4おたま1コップ1)、
  歯ブラシ2歯磨き粉1、
  石鹸1、小袋のビスケット・・・まだなにかあったかもしれない・・・
 
 行ってみると、これらの山が至る所にごちゃごちゃと。しかも驚いたことに、部屋の隅でサーバントたちがビニールコーティングした布で袋をぬっている。人一人入れる大きさのふくろを・・・。その袋を一人一人が持って、下に布類、次に食品、それから雑貨と入れていくのだけど・・・「それならどうして、最初に、入れる順に山を作らないの?」って言いたくなる。
ただでさえ、場所がないのに、袋を持って右往左往しなくちゃならない。(作業能率すこぶる悪し)
 
 私は全部を覚える自信がなかったので、食品を小袋に入れるだけの作業に徹することにした。米は左前の壁際、ダールは右前の壁、砂糖は後ろの壁粉ミルクは隣の部屋。しかも、中央で皆が作業しているので反対側の壁まで行くのに、3回はExcuse meと言わなくては通れない。1個1kgは重い!それでも、何人かが手伝ってくれてじゃまにならなそうな所に全部集めてから、小袋に入れはじめた。ほんと重いよ。3.5kgの袋って持ち上げるの大変。こんなすごい作業、いつもは、箸よりも重い物を盛ったことがないインドの有閑マダムがワイワイしながらやってるの。インド人ってえらいなぁ、と感心してしまった。
日本だったら、縫い物が女性、重い物は男性なのにね。と主人に言ったら「インド人は女性の方がちからありそうだもん。うちもそうだけど・・・・・」と最後は消え入りそうな声で言った。もぉー、無視。
 
 一人、私の作業を一緒にやりに来てくれたけど、「あら〜ん、お砂糖がないわ〜」
と私を見るので、いくつか持ってきたけどしばらくして、また米、砂糖同時になくなって、私を見るから「米はあそこ、砂糖はあそこです。」と教えてあげたら、ちゃんとたくさん取ってきてくれた。インドのマダムは素直です。でも、袋が弱くて、床はダールや米が散乱し、おばあさんマダムが転んでしまった事もありました。
 
「破けた袋を受け取った人は悲しいだろうなぁ」とか「どんな思いでこの袋を開けるのかなぁ」とか考えると、不思議な感じです。2時間半で、もうへろへろ。汗に粉ミルクがついて、顔はべとべと。でも、明日の朝出発だということで、結構皆一生懸命働いているようだった。
フラットの皆さん、頑張ってください。今度はもう少しシステマチックにやりませんか?
でも、たぶん毎年のようにこういうことしてるんだろうなぁ・・・。とても有意義な体験でした。

 ボンベネーゼ、ネズミに固まる ●マダム ジュネコの場合●

サウスボンベイにはいわゆるスーパーマーケットがほとんどない。土地代が高すぎてスーパーが進出できないのだ。それに輸入制限をしているので、外国製品があまり入らないから、広々したスーパーを作っても置く品物がない。
実際ボンベイを北に行ったポワリレイクのあたりに最近大きなスーパーができたが、行ってみた人に聞くと、広い陳列棚に、同じものが横一列にずっと並んでいるだけで、珍しいものは何も売っていないと言う。
その代わり、市内には、一間ほどの間口に食べ物やら雑貨を山ほど積み上げた、『よろず屋』がある。これがなかなか風情があっていい。レジなどないので、買ったものをわら半紙の切ったのにちびた鉛筆で書き付け、暗算で計算しているのもレトロである。
 私の住んでいた高級住宅街であるカンバラヒルのアルタマント・ロードにも、ローマン・ストアという、イタリア人が聞いたら怒りそうな、素晴らしい名前のよろず屋があった。(ちなみに、トウキョウビュウティパーラーという美容院もあります。一応オーナーは日本人らしい。)
居住用のアパートの地上階に入り口があり、細長い、奥行き4〜5mぐらいの廊下のような店内に棚がびっしりあって、穀物、スパイス、乾物、お菓子、雑貨が所狭しとつんである。時に2〜3個、輸入のお菓子などがキャッシャー奥の棚にピカピカと飾ってあることすらある。
外人が多く住むこの地域の、いわばナショナル麻布スーパーマーケットか紀伊国屋というこの店で、インド製クッキーの置いてある棚を見ていたら、クッキーの間から先のすぼまった縞々のピンク色の紐がチョロリと出ていた。
何かしら・・・胸がどきどきする。と、ナウシカを気取っているとその紐が動いた。
さらにじっとみるとクッキーの袋と目が合ってしまった。いやきらきら光るおめめの持ち主は袋ではなく、その奥にいたねずみちゃんでありました。
じっとこちらを見た後、フリーズしている私を残し、ねずみちゃんはかさかさと音を立てて走り去った。
自慢じゃないが、猫を長年飼っていたわたくしは、飼い猫たちから愛をこめて、半死のねずみやらヤモリやら鳥やらを、中元お歳暮クリスマス誕生日その他にプレゼントされていたから、このぐらいで悲鳴をあげたりはしない。しばらくフリーズしていただけ。
香港に住んでいた時も同じような経験をしたが、これほどひどくはなかった。
けれどインドでは、実際に生きているねずみちゃんが、白昼堂々食べ物屋さんの食べ物の中で、酒池肉林の大宴会を繰り広げている所を目撃してしまったのであります。
しかもねずみちゃんが媒介する、先進国には存在しない病気でたくさんの人が死ぬ、ここインドの地で、である。はっきりいって、生命の危機ともいえる怖さ。
後ずさりしながら買おうと思って手にもっていたものを取った順に棚に戻し、出口でお店のお兄さんに私は言った。
「猫飼ったほうがいいよ。企業努力としてね」
 お兄さんはニコニコしながら首を八の字に振った。
「オーーケイ、マム」意味は分ってないみたいだけど、あいそのよさは認めよう。
 ああ、でも、ローマンストアで食品を買えないとしたら、どこで買えばいいのだろう。ここより清潔と確信を持って言える店などあるのだろうか?(いやない。)
 そう、ここは、白昼どうどう道を大きなねずみさんたちが手に手をとって仲良くお散歩している国なのであります。
 この際、インド政府は国策として、牛より猫を大事にして欲しい。
 清潔政策の一環として、ゾウの神様よりも生き神の「おねこ様」を祭り上げるのも、ひとつの手だと思うのだけれど…。

 ボンベネーゼ、ゴキブリと戦う ●ふたたび、マダム ジュネコの場合●

娘の部屋はかつてメイドが使い、ゴキブリの巣と化していた。前任者が単身だった為、狭いメイド部屋に代わって、三ベットルームの一つをメイドに使わせていた。多分メイドは食事も食べ物の保存もこの部屋でしていたのだろう。
私たちが到着する前にメイドをメイド部屋に移させて、夫は必死で換気し、掃除をさせ、ポプリなんて物を探してきて置いてあったが、「さあここが君の部屋だよー」と新しい自分の部屋に期待に胸膨らませている娘を連れて入った途端、6センチもある大きなゴキブリがバスルームからのろのろと出てきた。前任地の香港では一人で寝ていたが、ゴキブリが大嫌いな娘は、これ以降決してこの部屋で寝なかった。どこで寝たかというと私のベッドだった。
インドに来る前に住んでいた香港は、暖かい気候の土地の宿命として、大型のゴキブリが街にあふれていた。レストランで、食料品店で、デパートで、歩道で、大きい体に似合うゆっくりとした動きのゴキブリが目撃された。しかし、会社が業者を雇って、こまめにペストコントロール(殺虫剤噴霧)をしていたので、家の中でゴキブリを見たことはなかった。ペストコントロールの語源としては、もちろんねずみが媒介するペストがあるのだろうが、ねずみはもちろん、ゴキブリもダニも、家の中にはいなかった。
インドでも会社で申し込んでペストコントロールしてあるはずと思っていたが、きちんとしていなかったようだ。短パンをはいてダイニングの椅子に座ると肌が剥き出しの太ももの裏が必ず痒くなる。ダニだろう。リビングに敷いてあった葦で編んだような二十畳敷きぐらいの巨大なカーペットをちょっとめくったら、黒い小さな虫が沢山這っていた。
仰天してすぐにペストコントロールを呼ぶ。今まで、会社で呼んでいなかったので、自費になるといわれたが、それでもいい、とにかくこんな虫御殿には住めない、と呼んでもらった。
ペストコントロールを呼んだ日は薬剤が噴霧されるのを見てから、どこかに避難して待つ。半日して戻り、換気して掃除する。
しかし、その薬剤の強さに驚いた。換気しても目は痛くなる、頭はがんがんする、が一週間以上続いた。
きっと先進国ではとっくに禁止されてる恐ろしい毒薬がたっぷり入っていて、ゴキブリやらねずみやらはもちろん、インド人以外の人間にもばっちり効くようにできているに違いない。などと書くとまた人種差別発言と怒られそうだが、実際インド人は小さい頃からガンガンの科学物質乱用に慣れていてちょっとやそっとのことではびくともしない。
というか、弱いものはあっという間に淘汰され、強いものだけ残るのかもしれない。
それにしてもあまりの薬剤の強さにすっかり懲りた。命を危険にさらすよりは虫御殿に住むほうが増し、という究極の選択をしたのだ。
ところが南国の虫は無視できない。一年程して次の家に引っ越して一ヵ月も経たないうちに、またもや恐ろしい体験をしてしまった。
このうちは大家がリノベーションしたばかりで、その上一ヵ月に一回は必ずペストコントロールをしていたという家であった。またもや娘の部屋である。
「お母さん、洋服入れの下に砂が落ちてる」というので、みてみて総毛が逆立った。
入居した時には確かに何もなかった作り付けの洋服たんすの奥の壁一面、シロアリの巨大な巣ができていたのだ。湿気った壁の内側を通って、下のほうの家から軒並みやられたらしい。こればかりは無視していられず、泣く泣くペストコントロールを呼んだ。
業者はニコニコしてやってきて、
「このビルのこの部屋のこの壁はどこのうちでもシロアリがわいています」
とうれしそうに言って、ドリルで壁に穴を開け、薬剤を流し込んだ。
といっても流し込んだのはでっぷり太った彼ではなくて、彼が連れてきた十五歳ぐらいの少年だ。インドのワーカーらしく、がりがりに痩せてはだしにぼろぼろのシャツを着ている。強い薬剤を使っているのに、手袋もマスクもしていない。
ワーカーが入ると細かいものが盗難にあうことがあるので、私もできる限り見張るのだが、風上にいても、すぐに喉が痛くなるほど強い薬なのに、その子供は手を薬剤で濡らしながら仕事をしていた。
こんなことをしていて体に良い訳がない。この子もきっと寿命を削っているだろう。貧しい知識もない低いカーストの人々がもっとも過酷な仕事をさせられる。それがこの国では普通のことなのだ。だからといって、この業者を断り、他の業者を呼んでもほとんど違いはない。私が代わってやり、自らの命を危険さらすわけにも行かない。
こんな矛盾に突き当たるのは、この国に住んでいたら日常茶飯事だ。
それに目をつぶって、観光客のように、綺麗なものだけ見て、楽しいものだけ楽しんで暮らせたらどんなに楽だろうか。
私たちには、せいぜいバザーに不用品を寄付することぐらいしか出来ない。
 To be continue…