私たちが住むムンバイ

使用人の心配


 “使用人”、これは、インドに暮らす邦人にとって一番頭の痛い問題です。優雅〜なマダム生活を送れるかどうかは、すべてこの使用人問題いかんに、かかわってきます。
邦人に限らず、インドで奥様方が集まると、必ず使用人の事が話題になります。一番多い話題かもしれません。
前任地ジャカルタで、20代の新米ニョニャ(インドネシアではマダムじゃなくてニョニャと言う)だった私は、4年半に7名ものメイドをとっかえひっかえ、「メイドに泣かされた」若く、辛い、苦い経験があります。だから、インドではメイドとの関わりかたも、この経験を踏まえてかなり堂にいったものだったと思います。時にはおだてたり、ほめたり、噛んで含むようにじっくり教えたり、怖がらせるくらいに厳しく注意したり、20代の頃、自分も人間としてかなり未熟だったこともあって随分悩んだり、悲しんだりしたことも、年齢を重ねたせいか、(自分の成長はともかくも)使用人との暮らし方に戸惑うこともなくなってきました。
 我家の場合、子どもがいるので、使用人は、「子どものための使用人ではない」ということを厳しく言って家族の決まりとしてきました。だから、部屋の整頓や、おもちゃの片付けも使用人には絶対に頼んではいけない。メイドさんを呼ぶときも、○○さんと「さん」付けで呼ばせてきました。物を頼むときは必ず、「○○さん、プリーズ、××」と言うように、徹底させて。間違っても「シャムラー、麦茶!」なんて言わせてはならないと思っていたからです。プリーズを言わないと、使用人に対して、子どもが高飛車に出るし、インド人を見くびる態度が、一番身近なインド人との間に起きてしまう、それが全インド人への態度となってしまう懸念があったからなのです。

 インド人はとても自分の仕事に誇りを持っています。だから、自分の分担はしっかりとこなしてくれます。指示したことは、きちんと伝わっている限り責任を持ってします。とても優れた民族だと言えます。そういう点では、私はとても使用人に恵まれた国にいたと思います。

 さて、我家で4年間、ともても優秀でまじめに、勤めてくれたメイドのシャムラーさんですが、彼女の雇用中で、何もかもがうまくいったわけではありません。前任者から引き継いで、一緒に仕事をしていたスイーパーのおばさんとは、私たちが雇用して半年後に、どうしても二人の関係がうまくいかずに、おばさんを解雇することになったりしました。二人ともとてもいい人だったのに、小さな行き違いから仲たがいしてしまって、年齢差や性格の不一致で、間に入って困りました。

また、フラットのリフトマンが彼女に心を寄せて、無言電話やいたずら電話があったりして、これも解決までかなり時間がかかりました。また、シャムラーさん自身の健康問題もありました。持病の腰痛が悪化して、3週間の入院。入院治療費の負担や、その間のフォローなどもありました。

 インド人のマダムたちも同じように使用人のことは一番の頭痛の種だと言う話を良くききます。隣のインド人の奥様に、シャムラーさんが4年も我家で、問題なく働いているといったらとてもびっくりされたこともありました。我家に来るインド人の奥様たちも、「日本の言葉も習慣も違うのに、上手にやっているわね」とも褒めていただいたこともあります。インド人の家で働く使用人は、正直にまじめに働けば、生涯にわたって雇用者が面倒を見てくれます。友人の家に古くからいるメイドさんも、お嬢さんのアヤ(子守)をして、お嬢さんが結婚後は、引退し、お寺の近くの小さな家で毎日元の雇用者からの仕送りで倹しいながらも幸せな余生を送っていてます。お嬢さんの誕生日には年に一度、上京して一緒にお祝いしています。一緒にいるときは、食事や、衣類も雇用者からでしたし、病気になったり、家族の就職の世話なども、雇用者が責任を持って面倒をみています。
 しかし、数年、長くても我家のように4年程度のインド駐在の外国人家庭のメイドさんは、こうした恩恵は受けられません。
せいぜい、インド人家庭よりも少し多めのお給料と、退職金でつないでいくくらいです。家庭の使用人になる人は、ほとんどが高等教育は受けていません。英語の読み書きもほとんど片言程度です。出身地には彼らの仕送りを待つ家族や親戚がたくさんいます。

 我家のメイドさんのシャムラーさんもこうした一人。ケララ出身で天涯孤独。親兄弟とは、小さな頃に死にわかれています。教育も小学校までしか出ていません。ただ、ケララは女子の教育環境がインドの中では比較的恵まれていて英語も話せて、簡単な読み書きは教会で習得していました。(シャムラーさんはクリスチャン)ボンベイで知り合ったタミルナドゥー出身のご主人と5年前に恋愛結婚をしました。残念ながら結婚直後、腰をひどく痛めて子どもはあきらめています。我家に就職したのはちょうどそんなときでした。夫だけが彼女の身内と言うことで、夫の田舎にすべての給料をつぎ込むほどに毎月送金し、田舎には立派な家が出来ましたが、名義はすべて夫の母親のものです。シャムラーさんの働きぶりに、これ幸いと、夫は働くなくなり、時々田舎に帰っても、仕事がない夫が田舎の人たちに歓迎されることもなく、もちろんシャムラーさんが建てた家であっても、住むことはかなわないというような事態です。まして、家の跡継ぎが生めないとなれば、嫁の立場はインドの田舎では辛く厳しいものがあります。

 こうした彼女事情は、実はつい半年前にわかったことでした。使用人のプライバシーに立ち入ると、どうしても情がからんで、問題がおきたときに解決の糸口が見つからない経験をしてきた私としては、冷たいようですが、「いつかは日本へ帰国してしまうから」と、ある程度、使用人の家庭の事情とは距離を置いて暮らしてきました。シャムラーさんは、我家の出来事を一緒に悩んだり、笑ったり、泣いたりしてきてくれたのにです。半年前にひょとしたことから、彼女のこうした事情を知り、お給料は、今まで自分名義に一銭も貯金していないこともわかりました。お父さんと相談して、何とか私たちがムンバイを離れてからも彼女が一人で困らないようにしようと、まずは銀行口座を開設しました。お給料の半分くらいを必ず預金するようにと彼女を説得しました。銀行口座を開設するには、Retion Card(配給証明書)というのが、インドでは必要です。これは戦後の配給制度の法律が、そのまま残るインドの制度の一つですが、これがいわば身分証明書、IDカードになっていて、パスポートや運転免許証の申請に必要です。しかし、シャムラーさんのRetion Cardはご主人の田舎の家族と同記載されていて、彼女の単独証明書は持っていません。彼女の名義で田舎の家族が配給を受けているから田舎にあるのです。
 ここで、また問題です。私の親友でシャムラーさんを良く知るインド人の友人、Bank of Indiaの顧客でもある人と、お父さんに保証人になってもらい、Retion Cardがなくても銀行口座の開設が出来るようにしました。後になって彼女の夫は、彼女一人の名義の銀行口座を開設したことをすごく怒りましたが、毎月、全部巻き上げていた月給、彼女が病気のときも一銭もなかった事について、私にきつく言われたので、ようやく「彼女の収入は当てにしません」と誓いましたが、果たして・・・?お金が入らないとなると、夫は田舎へ居候を決め込み半年前からタミルに帰ったきりでした。
 しかし、私たちの転勤が決まり、彼女の退職金を当てにして、再び上京。表向きは「新しい雇用先を見る」でした。こうした事情もあって、彼女の夫には、悪いが退職金は小切手で払いました。彼女が自分の口座に持っていかないと現金化されませんからといいましたら、さらに腹を立てたようです。また、シャムラーさんと熱血ドライバーシュレーシュさんの仲を疑ってあらぬ事を言い出したりして、退職最後の日には、涙をこぼして彼女は窮地に立たされました。そんなことを疑ってみても何にもならないのに。(お父さんなどは、シュレーシュと結婚した方が、ずっと幸せかもしれないと言う始末で、もうお手上げです)夫婦の問題だけに、私たちもこれ以上は立ち入れません。(そう思うのは日本人だけで、インド人なら、放ってはおかないとインド人の友人たちは言うのですけど)

 外地にいて使用人とは、どんなに仲良くしても、あくまでも雇用者と使用人の域は守らねばなりません。親友と呼べるはずもなく、ましてや、将来の面倒をすべてみてあげることもかないません。家族同然に暮らしてきましたが、情をかければかけるほど、使用人本人も辛くなるでしょう。さらに、天涯孤独な彼女が、夫の田舎の家族を唯一の身寄りとしている以上、働き手の彼女が一生懸命仕送りすれば、将来彼女も田舎で家族の庇護の元に暮らせるのかもしれないという一縷の希望もあります。でも、田舎に帰るたびにサリーも貴金属もすべて義理の妹たちに与えてきてしまって、毎回文無しでムンバイに戻って来る彼女に、そうした約束さられた将来があるとは思えないのです。
 我家の子どもたちの成長を伴に喜び、私たちの病気の看病も、受験のときの帰国中の太郎の弁当や学校の送迎などなど、報酬だけではまかないきれないほどの恩を感じています。いったい、私たちに何が出来るのか、これからのシャムラーさんの将来が、とても心配です。

 

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