私たちの住むムンバイ



インドへの道のり

 まず、ボンベイへはどうやって行くのとのご質問に答えします。昔、インドが「天竺」と呼ばれていたころは、日本海を船で渡り大陸を横断してやってきた偉いお坊様もいらっしゃいまたが、現在はエアーインディア(インドの航空会社が、毎日、東京〜ニューデリーの直行便を出しているほか、JALが週2便、東京〜ニューデリー間を、全日空が日・木曜の週2便、大阪〜バンコク〜ボンベイを運行しています。初めてのインドなので、今回は関西空港から全日空のボンベイ行きに乗ってやってきました。

 家財はどうするのか?との質問ですが、海外転勤の場合、それはそれは複雑な手順での引越しになります。家具は、だいたいどこの国も家に備え付けですので、日本で使っていた大きな家具は倉庫会社に預かってもらいます。その他の家電品、衣類、食器、なべ釜などは、船便で2回にわけて送ります。ボンベイには約1ヶ月の航海で荷揚げとなり、その後通関に1週間を要して受け取りとなります。その他に、アナカン(別送航空貨物)というすぐに使いそうな身の回りの品をお父さんの到着と、家族の引きまとめ時の2回にわけて(4人家族で100kg)送ります。アナカンは到着後3日で受け取ることができます。さらに預けきれなかったものを実家に搬入し、最後に私たちが手荷物としてスーツケースを持っていきます。ざっとこんなところですがボンベイの場合、日本食や日用品がないので、船便ではトイレットペーパー3年分とか、お醤油、味噌、日本米などを半年分、3年分の学用品とかが積み込まれました。肉や、魚の冷凍品を80kgは手荷物で持ち込みます。

 渡航の手続きに関しては、パスポートの取得に始まりビザの申請など、会社の人事部の指示に従いつつ手続きをとります。途上国ということで、子供のときに受けた、基礎免疫の予防接種に免疫強化の追加という形で、ポリオ、破傷風、肝炎A・Bの予防接種を受けました。ビザの取得には、非エイズ感染証明というのも必要で、日赤で検査を要しました。(旅行のためのビザには、必要ない。)その他、学校に関する手続き、赴任に伴う各種の研修(海外安全対策、海外教育、引越しに関する研修、パーティーや接待に関する研修…・・。)などを受けました。

 インドに関する事前の学習は東京・神田にある、「アジア文庫」で、インドに関する図書をどっさり買い込みましたが、読む間もなく出発の日を迎えました。ヒンディー語の勉強も何もできませんでしたので現地にての習得になりました


家族の健康状態を整え、何とかインドの土を踏んで遠かったインドへの道のりもクリアしてやれやれの新しい生活のスタートです。

ナマステ ムンバイ

関空から、8時間30分のフライトで無事ボンベイ・サハール空港へ到着しました。飛行機を降りたとたんのあの熱気となんとも言えない臭い。体で感じるインドの空気。ウーン、ついに来てしまったボンベイ。

ANAのスタッフが待機していてくれ滞在理由が駐在なので、ほかの旅行者とは違うカウンターから審査・入国となりました。インドは、「暑い・汚い・危ない」というイメージがあるので、空港内でもドキドキしターンテーブルからの15個もある荷物(主に冷凍した肉類が大半を占める)のピック・アップも緊張しましたが、気抜けするほどスンナリと進み、出口で待つお父さんと無事対面となりました。

 そして、ついにやってきましたボンベイ!ナマステ・ムンバイ!ナマステとは、ヒンディー語で「こんにちは」とか、「おはようとか」、「ごきごきげんよう」という意味の挨拶の言葉です。
 このホームページの名前には、
「ボンベイこんにちは」という意味合いと、「日本の皆さんへ、ボンベイからこんにちは」という二つの意味をこめてナマステ・ムンバイにしました。胸いっぱいインドの香りと空気を吸い込み、照りつける太陽を見上げ……・と、その時。さっそくインド特有の熱烈歓迎を受けることになったのです。

                  ぼくのみたインド〜小学生編〜を参照ください。

ムンバイのビバリーヒルズに住むということ

日本を発つ時、「メイドさんがいるんでしょ?」 
「ローラースケートができるくらい広いお家に住むのでしょう?」
との質問もたくさんいただきました。「物価の安い途上国」で、リッチな気分で暮らすと言うことは、果たして日本人の私にとってどういうことなのか、前任地のジャカルタでも、常々自問してきたことです。インドの物価と日本円を換算して考えてみれば確かに安いです。でも、実際に暮らしてみると、インド庶民の生活水準も見えてきて、物価感覚もわかってくると日本に比べて安いと思うものでも、地元の人にとってはギリギリのものであることも解ってきます。
(我が家の住み込んでいるメイドさんのお給料は、1ヶ月Rp3,500=約10,500円)

 インドは独立後、イギリス製品のボイコットから始まり自国の製品だけで、国の発展を担う社会主義経済政策をとってきました。1994年自由貿易、自由経済政策へ路線変更し一気に他の東南アジアと同様西欧文化が流れ込んできて、「便利な物」と引き換えに急激な物価上昇を招いています。私たち日本人が「安い、安い」とあんまりはしゃいでいると、周りのインド人から、「へーそんなに安いですか?外人さんは、いいですねぇ。私たちは、これでも、苦労してるんですよ。」と、しらけた目で見られてしまうに違いありません。これだけは、私はやだなぁと思っています。

 確かに、メイドさんを安く雇える国ではありますが、それは、決して私が楽をしたいからではなく、治安、衛生などの、生活条件の厳しい国で、安全に健康に暮らす上での、水先案内人をも兼ねています。ヒンディー語や、ここマハラーシュトラの言葉の解らない私にとっては、牛乳配達人との会話さえ彼女らの助けなくしては暮らせません。ここでの生活のHowtoをまずメイドさんから教えてもらい、時にはさまざまな危険や困難を切り抜けるにはなくてはならない人であるわけです。

 先日も、待ちに待ったファミコンが着き早くやりたいからと親の知らぬ間にトランスを使わずに電源を入れて早くもショートしてしまい大騒ぎ。あまり泣いたので、見るにみかねたメイドさんが金曜にもかかわらず、モスリムの電気屋さん(イスラム教徒は金曜日が大事な礼拝日)を呼んできてくれて、たちどころに直してもらい、子供たちにとっては、メイドのシャムラーさんは、シャムラー様々となりました。
家が広いと言っても、ボンベイは日本料理のレストランがないので、日本からの長期のお客様などはお父さんの職業がら自宅での接待を余儀なくされるためと、外国人が安全でに暮らせ、日本人学校のバス・ルートとなるとどうしても高い家賃の家になってしまいます。なんとボンベイは、ニューヨークや、香港を抜いて世界一家賃が高いそうです。安全は、お金で買うと言うのは海外で暮らす上で避けられないことです。万が一、私たちがここで事故や事件に巻き込まれたら、海外で暮らしている以上自分の責任だけでなく他の日本人駐在員や会社にも多大な迷惑をかけることになります。少しいい訳がましいですが日本から比べたら贅沢に見える暮らしはこんな理由もあっての上でのことなのです。

そして・・・・いよいよ、懸案の住居さがし、インドとの闘いの火蓋がおとされたのでした。
(1999年5月31日)

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