私たちが住むムンバイ



ウエディングリポート


 「ご家族でお越しください」という結婚式の招待状が届き立て続けに3組の結婚式に招かれました。インドの結婚事情はとても古いタイプのしきたりが残っています。インド人の友人いわく、30%が恋愛結婚(カースト外結婚が多い)、その他は親が決めたりお見合いだったりが70%だそうです。これはお金持ちも貧乏人も含めての事で、まだまだ自由恋愛は少ないそうです。街中でデートらしいカップルを見かけるのはごく僅か、手をつないで歩いているカップルは皆無です。ごく限られたホテルのレストランや、デパートなどでいかにも西洋教育を受けたと思われるお金持ちのお嬢様、お坊ちゃまのカップルは、映画などでの影響か親密そうにしていますが…。結婚相手探しには新聞広告も良くつかわれていて、日曜日の新聞には6面くらい花嫁・花婿募集の記事が載ります。
(数えてみたら、12月12日の新聞には、1332人の広告がありました。) 
そこには、名前のほかに身長、職業、出身地(カースト)、趣味などが載っていますが、セールスポイントに、ほとんど全ての男性がハンサム、ほとんど全ての女性がビューティフル、スリム、色白と明記している点はインド人の自意識過剰とセールス根性はすごい!そして特に「同じカーストの人を希望」というただし書きが、ほとんどにあってたてまえ上はなくなったはずのカーストの観念も結婚に関しては色濃く残っています。

 恋愛結婚のほとんどがカースト外結婚といっても良いくらいです。結婚には多額の持参金を必要とし、花婿側はこの持参金で傾いた家計を再建したり、花嫁側は持参金捻出の為のローンを組んだりしています。ですから今でも男の子が生まれることをどこの家も願っているような気風をぬぐえません。持参金が少ないからといって、花嫁を焼き殺して新しく嫁をもらいなおすなどという痛ましい事件も後をたちません。今回招待された結婚式の内、恋愛結婚はクリスチャンの一組だけでした。
結婚式の招待状
結婚式の招待状。左は英語、右はマラティー語
新郎新婦の両親の名前で招待状が配られる。
オレンジ(サフランカラー)はおめでたい色とされている。
はじめに招待されたのは、インド有数の大財閥・ビルラ、この一家の長男の結婚式。新郎新婦とは面識すらなく、いわゆるお父さんの会社の取引先、儀礼上の招待ですが、豪華な結婚式を楽しませていただきました。
超豪華な結婚式
3日連続の披露宴に新郎新婦はかなりお疲れ気味

グジャラート出身の一家で、会場はボンベイ5星ホテル。リージェント・ホテルのガーデンパーティーには1000人以上のお客様3夜連続の大宴会でした。私たちは3日目のフィナーレに伺いましたが、まさしくインド・大マハラジャ結婚式。新郎新婦は揃いのゴールドと赤のグジャラートの結婚衣装。金襴緞子のようなサリーとクルタ&ターバン。招待されたゲストの人たちのサリーやクルタも今まで見た事もないような絢爛豪華な大ファッションショー。大きな宝石をちりばめた髪飾りや、ネックレス。むせ返るような香水の臭い。ファッションモデルかと見まごうほどの美人ばかり。
(つい先日も、ミスワールドには、ボンベイ出身のミス・インディアが選ばれました。これで世界NO1になったミス・インディアは8人目。美人の宝庫インドです。)
グジャラート人は、北インドのアリーア系民族なのでペルシャ風の彫りの深い顔立ちで髪もストレートです。インドにいて夢を見ているのではないかしら、プールサイドから眺める満月が魅惑的でボーっとしてしまいました。こんなにハデハデとは知らずにビジネス・スーツとワンピースで出かけた私たちは、外人だから許されたようなものの気後れこの上なく、振袖でも着てくれば良かったかしらと思うほどの夢のような一夜でした。
 何発も大きな花火は、深夜まで会場を明るく照らし、フレンチ、イタリアン、中華、インド料理に目をみはりました。西洋スタイルの立食パーティーだったので、途中でひな壇前の花嫁花婿と握手を交わし、名刺交換をして帰ってきました。
次は、お父さんの会社のナショナル・スタッフの結婚式。パンジャブ人のヒンドゥースタイル。会場は花嫁の家のあるフラットの中庭に、紅白の垂れ幕と豆電飾で飾られた特設会場。金屏風ならぬマリーゴールドとジャスミンで飾られた特設ステージ付です。インドもおめでたい色は紅白。サフランカラー(濃いオレンジ色)はヒンディーの神様の好きな色、白は精錬潔白を意味するそうです。賑やかな楽隊に先導されて、白馬にまたがり花飾りで全く顔を隠された花婿がものすごーく時間をかけて入場してきます。花嫁はピンクのパンジャビスタイルの花嫁衣装に両手には、メヘンディとよばれるヘンナの粉で描かれた美しい文様がぎっしり。ようやく到着した花婿とステージに登り、花輪の交換。続いて、ゲストが順にステージに上って祝福の挨拶をしました。

            ブラーミンの結婚衣装
             ブラーミンの典型的な花嫁衣裳

その後、グルとよばれるヒンドゥの聖者によって、ヒンドゥ式の結婚の儀式と執り行ないます。焚き火のような聖なる火の回りを7回巡り、聖なる誓い(富める日も、貧しき日も…みたいな)を交わします。その間炊き出し隊とよばれるケータリングの料理係が、タンドールでナンを焼いたりカレーを振るまい各自セルフサービスで食べます。
結婚式は清い儀式なので殺生を嫌い祝いの料理は、ヴェジタリアンミール(菜食)です。おおよそ結婚式と披露宴は夕方7時ごろから12時ごろまで続きます。本来は、アルコールは、出ませんが、花婿の勤務する日本企業の上司(いわゆる日本人駐在人・私たちの事)たちが、禁断症状を隠し切れないので特別にお酒が振舞われました。

 三組目もお父さんの会社のナショナル・スタッフで、大学時代からの友人同士、ゴア出身のクリスチャンの結婚式。黒のタキシードと純白のウエディングドレスでのおなじみのスタイル。すでにその日の午後に、教会で式を挙げて、私たちは夜のガーデンパーティーだけに出席しました。おもに花嫁花婿を中心のダンスパーティーで、前半は、ワルツやスローなインディアン・ミュージックにあわせて、老若男女フォーマルなダンス。インド人はみんな植民地時代の影響から、社交ダンスが上手で驚きです。新郎新婦の両親、花嫁花婿、親戚のおじサンおばサンが、それぞれパートナーを代えたりしながら踊っていました。

クリスチャンの結婚式
ゴアのクリスチャンの結婚式
花吹雪ならぬ、ホイップスプレーが降りかかる

 インドの男の子は、とっても積極的で、当日、披露宴の御馳走を食べる事に専念していた12歳の娘のところに、ひっきりなしにダンスの申し込みがありましたが、恥ずかしがりやの娘は、首を激しく振って「NO! NO!」と言って拒否していました。親としては、「こんなことは、日本ではとてもないから、踊ってきたら。」とか、「せめて、ありがとう、でも今はやめておきます。」くらい愛想良く言ったほうが良いよ。といいましたが、頑なに固辞していました。お誘いの子は、7歳くらいから15歳くらいまでの男の子たちで、その中の一番小さな坊やに「おばちゃんでも良いかしら?」ときいたら、「Sure! With pleasure(もちろん、よろこんで!)」というので、一緒に踊ってもらいました。後半は、テンポの早いインド風ディスコになり、ついに、招待された日本人みんなが輪の中に引きづり込まれて、インド映画顔負けのフィルミー・インドダンスの大競演。激しくステップを踏み、くるくる回り、お腰クネクネダンスです。こうなったら踊る阿呆になりきりです。インド人は、ほんとに踊る事が好きです。体一杯喜びを表現するという感じでした。深夜、帰宅するのに車に乗り込むころは、汗びっしょりでドレスはグショグショ、アップスタイルにした髪はほつれ、ヘアピ−スはどこかへ飛んでいってしまい、体はヘトヘト、大ブレークした結婚式でした。
積極的なインドボーイズ シーク教徒の結婚式
積極的なインドの男の子
将来が心配?
シク教徒の結婚式。
参列者はみんなターバンおじさん

 インドにも、誕生、成人、結婚、葬式といろいろなセレモニーがあり、ヒンドゥーの教えや、その他の宗教、地方のしきたりに従ってお祝いされます。様々なカーストや風習の違いがあっても、招待される人には、その区別がなく、どの結婚式にもさまざまな宗教や習慣を持った人が招かれ、各自のスタイルで祝福していました。ヒンドゥーだから、モスリムやクリスチャンは招かないなんていう度量の狭いところがないし、ピュア・ベジタリアンのジャイナ教の人は、お祝いの御馳走は、サラダだけを食べたり、各出身地のサリーを着て社交ダンスをしたり。様々な人がいて、一見、無秩序に見える、祝いの席が、「祝う」という気持ちに統一された結婚式ばかりで、インドの懐の大きさを見た気がします。
 今でも地方の村では、口減らしの為、少女の無理強いされた結婚や、親の決めた結婚で不幸な結婚生活に耐えている婦人、都会の影の少女売春も後を絶たないインドですが、人生の門出を祝うのは、晴れやかで、楽しいものです。3組の新婚さんどうぞお幸せに。(1999年6月)

*「女盗賊・プーラン 女盗賊から国会議員へ 」プーラン・デヴィ (草思社)は、現代インドにおける少女の婚姻にまつわる不幸なドキュメンタリーです。作者のプーランは、先の総選挙で再選され政界に復帰、女性の地位向上の為に戦い、2002年に暗殺。興味のある方は、読んでみてください。



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