Diary

デリーレーヌ ざます!


〜お気楽マダムのデリーな日々〜
2003年 5月


5月21日(水)

 今日知ったことだが、臨時雇いの見習いコックのカナンさんは、卵も食べない菜食主義で、ブラーミン(最高位カースト)である。今月から、私の猛特訓に何度も目を白黒させながらもがんばっているが、初日にコロッケを作ったとき、「これがポークか?ポークなんだな?ポークを食べるんだな?」と、私に何度も聞いて深刻な顔をしたのだった。卵も食べないベジタリアンならば、当然、毎回目玉焼きの卵が上手く割れずに黄味を崩してしまう理由が今ようやくわかる。昨日は火曜日でガネーシャの日、本来は卵にさえ触れたくもなかったそうだ。日本の食材のワカメ、豆腐、油揚げ、醤油、味噌にも戸惑いがあるのに加えて、牛肉は言うに及ばず、豚肉に魚貝類、卵さえも触ることに、ためらいと難色がある以上、日本人の家庭で日本食のコックになるのはとても難しいと思う。インド人のコックさんなら鶏の一羽くらい誰でも捌けると思っていたが、生卵を割るだけで一苦労のカナンさんにとっては、コックへの道のりは長すぎる。決してベジタリアンのブラーミンのコックがいないわけではなくて、ムンバイのタージマハールホテルには、ブラーミンが作った菜食主義の食事しか食べないお客さんのために、ブラーミンのコックがいると聞く。でも、日本人の家庭でコックになるのは難しすぎる。ここ3週間のカナンさんのがんばりはすごいものだが、驚くようなヘマも数知れない。フライドポテトと間違えて、切って冷凍してあった油揚げをさらに油で揚げたり、ほうれん草とブロッコリーを一緒にぐつぐつ煮込んでおひたしを作ったり、マンゴを千切りにしたり、食事は熱々を出すように言ったら、サラダも電子レンジでチンしたり、ざるそばを食べた翌日、茹でたスパゲティーを何度も水洗いしてくれたり・・・。笑ってはいけない、怒ってはいけないと思いながらも、料理には、センスや“感”も大切なので、カナンさんの臨時雇いは本契約にはならないと思う。ごめんね、最初にブラーミンのベジタリアンだと知っていたら、雇わなかったのだが。まだ、カナンさんの前でお刺身を出していなくて良かった。それにしても、コンチネンタル料理ならば70%はOKといっていたのは何だったのだろうか?大風呂敷だったのね。気のいいおちゃんではあるが困ったものだ。もしかしてカナンさんは世界中の人がドーサやイードリーを主食にしていると思っていたのだろうか?この次の採用者にはとても聞きにくいけど、カーストについても質問しないといけない。でも、カナンさんは、お味噌汁とご飯、麦茶と焼き魚(干物)、ほうれん草のおひたしは出来るようになったのだけど。ため息…。

 インドの公立学校は今年は夏休みを早めて、5月1日〜6月末日とした。例年より半月早く、長くなった。デリーの日本人学校も5月17日から夏休みで、世界の日本人学校で一番早い夏休み。6月末まで。大家のDr.シンも、今月末からイギリスに避暑に行くそうだ。UKの田舎にコテージを持っているそうで、「例年夏はイングランドなの」とのこと。お宅も留守ならば、チョキダール(門番)にしっかり家のガードをしてもらうように言いましょうね。留守の間に何かあったら困るから、家のことで何かあったら、今のうちに言ってね、うちは留守の間に、ペストコントロールの殺虫剤を撒く予定よ。との申し送りがあった。
我家も駐在5年目の静養休暇で、明日から日本に一時帰国する。日本の梅雨を満喫したい。ジメジメ湿度、久しぶりだもの。 
 太郎は、今回の一次帰国で帰国子女専門の特訓塾で入試に向けてがんばる予定だ。海外帰国子女受験は、楽そうだけど、現実はとても厳しい。2年前の麻子のときも「日本にいて、受験情報と受験のノウハウがわかる塾に行きさえすれば」と言われたが、香港、シンガポール、ロンドンなど、日本の大手の進学塾が多数あるエリアからの帰国子女は断然、受験が有利である。紀伊国屋のないインドでは参考書の取り寄せさえもなかなかままならず、受験願書の取り寄せや、受験対策はとても困難だった。さらに受験や夏季講習の帰国費用は親としては本当に頭が痛い。今回も、塾の近くにマンスリーマンションを借りて滞在する。帰国受験も2度目ではあるが、本人ががんばる以上、応援しなくては・・・。今回の帰国は一気にお受験ママモードである。
しばらくデリーレーヌ日記はお休みです。7月にまたお目にかかりましょう。
5月20日(火)
生のアーモンド 2台続けてエアコンが壊れる。修理のエアコンマンは3日しないと来ない。成長期で毎日眠いと言っている息子は、夏休みだが、エアコンが壊れているから勉強できないと言い訳して、気温43度でも、まったく意に解せずに爆睡している。私は暑くても勉強は出来ても、寝ることは出来ないから、若さってすごいと思う。朝から昼3時まで暑い所で、扇風機もつけずに平気で寝ている。信じられないたくましさ。気温が43度以上になると必ず夕方は停電になる。私はじっとベッドにひっくり返ってアイスノンで頭を冷やしながら、団扇でパタパタして本を読むことにしている。そういうことだから、ワーカーさんたちもダラダラ働きたい気持ちが良くわかる。本当に暑いのだ。ふぅ〜。
 市場で、生のアーモンドを見かける。1つもらって皮をむいてみると、豆のところは真っ白でやわらかい。カカオやアーモンドを食べるとすぐに吹き出物が出来る私は買わなかったけど、インド人の奥さんはたくさん買い求めていた。原産地はこのあたりなのかしら?

5月19日(月)
インドのシステムキッチン店
 3歩進んで2歩下がるキッチンの工事であるが、ようやくシンクに大理石の天板がついた。インドは大理石が安い。日本のように、システムキッチンに人造大理石なんか使わなくてもいいのだ。(ちなみに人造大理石のほうが高いのがインド)システムキッチンショップにはキッチン用のアイテムがたくさん揃っていてびっくり。インドにも、こういう高級キッチンツールを買う購買力が備わってきている証拠だと思うと、インドの底知れないマーケットの大きさに驚かされる。モダンなシステムキッチン・アイテムは全部インド製。だからとても安い。(インド人にとっては高いけど)ふきん用のハンガー、石鹸台、タオル掛けなどを買う。エレクトリック・チムニーというのが、天井付けの換気扇であることが判明した。油が湯煙になって天井にこびり付いてもオイルが落ちないような仕組みになっていて、インドのオイリーな料理にも対応できるようになっている。さすが!インド料理のニーズにあったエレクトリック・チムニーであった。
美味しくないターリー お昼に、Meridien HotelのPakwanに久しぶりにターリーを食べに行く。大はずれであった。外国人向けにマイルドにしてあるらしく、ちっとも辛くない。いつものようにベジタリアンターリーと頼んだのだが、ナスのカレーも、パニール(カテージチーズ)のカレーも、豆のカレーも辛くない。これはカレー・ナヒーン(カレーじゃないよ〜)というくらい、お子様向けのカレーであった。ウエイターのお兄さんが、いつもの儀礼どうりに、「お食事はいかがですか」と聞きにに来たので、「美味しくない。だって辛くないから」って言ったら、「もっと辛いのがいいのか」と聞くので「スパイスがこんな半端なのじゃ嫌だ。もっと美味しい野菜のカレーが食べたかったのに」といったら、お皿にてんこ盛りのグリーンチリーを持ってきた。「そうじゃなくて、サブジー(野菜のカレー)にスパイスが効いてなくて、物足りないのよ。」といったら、(私は決してタカビーに文句を言ったのではありません。あくまでも真実を言ったまで。)「任せろ!」と言って、ようやく夏野菜のミックスされた辛いカレーが出てきた。「これは、マダムのためのスペシャルです」と言って。「そう、そう、これくらい辛いのよ」と言いながら鼻水をすすりながら食べる。辛いけど、今度は味に深みがないのだった。デリーに来てまだ、私を満足させるまともなカレーに出会っていない。美味しいカレーが食べたいよ。バターが効いて味は濃厚かもしれないが、辛さの深さにかけるのだ。ホテルのインド料理店じゃ駄目なんだね。タマリンドの酸味や、ココナッツフレーバーの南インドカレーが恋しいのだ。

5月18日(日)

 タブラーの先生が小さなお弟子さん(8才、6才)を連れてきた。なかなかお行儀の良い男の子で、太郎と一緒に練習する。小さいながらも、インドの古典音楽一家で育った二人だけに、大人顔負けの実力で、素晴らしい。まさしく門前の小僧、タブラーを体で覚えるって感じだ。指使いは目にも留まらぬは早業でびっくり。興に乗ると目をつぶり、体全体でリズムをとっていた。
        

 4月末に、給与と待遇が不服で自ら辞めたメイドのエリザベス女王様は、「身寄りのない未亡人」というを楯に離れのサーバントクォーターに居座っていたが、引越し猶予期間の2週間が過ぎても出て行く気配がないため、会社の総務部から最後通達を受ける。さすがに女王様だけあって、会社に立ち退き用の小型トラックと、引越し手当てを要求し、総務部の人を散々手こずらせて本日ようやく出て行く。サーバントクォーターの賃貸料(電気・水道代を含む)を会社が出していることを彼女は知っているので、私が出て行けといっても、マダムの持ち物じゃないだろうと、どこ吹く風であった。さすがに会社からの要求とあれば仕方あるまいということらしいが、最後の最後までごねるあたりは半端なすごさではない。大型ガスシリンダー2本にガスコンロ、電気洗濯機、冷蔵庫まである大所帯で、日通や伊勢丹のダンボールに10箱以上の備品。うーん、独り暮らしのOL以上の物持ちかもしれない。さすが日本人家庭勤続18年である。4月末以降、私は一度も顔をあわせていないが、日本人宅の面接では、ことごとく断られていたらしい。高学のお給料に、ボーナスを年2回、給与2か月分。実労働6時間、オーバータイムは時給30ルピー、パーティーや接待時の場合はチップとして毎回150ルピー、さらにユニホーム代年2000ルピーと、一ヶ月分の有給休暇となれば、日本人は誰でも考えてしまうだろう。私が変わりに働きたいくらいだ。性格がよければいいけど、あのすごい物腰では引いちゃうよねって感じです。デリー最強の日本料理コックかもしれない。犯罪暦があるわけではないから、いつかは仕事が見つかるかもしれないけど、私はもう、絶対かかわりたくない人だ。彼女はクリスチャンであるが、デリーの使用人たちの通う教会では「労働の雇用機会均等」やら、「使用人の自由と権利」についても啓蒙していると聞く。もちろん、私はこうしたことへの配慮もしながら使用人を使いたいと思っているが、いい仕事や、誠意のある仕事が、出来ない人には答えてあげることが出来ないのだ。人柄は技術や能率よりも大事と思うのだが。甘いのかな〜。インド人の家庭では、使用人は家族の一員として待遇がされている。私たち日本人は使用人と食事を共にすることは出来ないが、一生懸命働いてくれるなら、出来るだけのことはしてあげたいと思っている人が多い。そういうことが通じなかったのは、本当に残念であった。

5月17日(土)
中央郵便局 転居のお知らせはがきをようやく仕上げる。やっぱりインドの綺麗な記念切手を貼ってだそうと思って、GPO(中央郵便局)に行ったが、Philately Bureau(郵趣窓口)は、Dak Bhavanの郵便局に移ったと聞いて、そちらに向かおうとする。GPOの入り口で日本人の青年に「記念切手の売り場はどこですか」と訪ねたとたんに、リキシャ・ワーラーにこっちに乗れと強引に勧誘される。「教えてくれてもチップ払わないわよ」と、日本人青年の前で叫んでしまって、超恥ずかしい。運転手のスニルさんが、場所を聞いてくれて、ようやく新しい郵便局へたどり着く。GPOの前で叫んだのは私です。穴があったら入りたかった。お恥ずかしい・・・。
 記念切手日本へのはがきは一枚Rs8(20円)。日本で国内郵便葉書(50円)を出すよりも、インドから投函するエアメール葉書のほうが安いなんて。記念切手売り場は土曜日のこともあって、マニアのおじさんが長い列を作っていた。男ばかりの列に並ぶ私を運転手のスニルさんがすごく心配そうに見ている。でも郵趣おじさん方はとてもジェントルマンばかりで「ご安心あれ」とスニルさんに合図を送る。インドは切手のコレクションはすごいらしい。おじさんたちは、ファイルに大事そうに切手をしまい、近くの座席に座ってマニア同志でみせっこしたり、交換したりしている。まるでプリクラ交換の女子中学生みたいでとても可愛い。家に帰ってから、自分で切手を貼って近くの郵便局で、消印が押されるのを確認する。これで無事に着くだろう。記念切手でだしても、真っ黒に全面に消印されないように、端っこに押してくれと頼む。毎回切手にこだわって投函しているのだけど、みんな、気がついてくれるかしらん。「インドも綺麗な切手になったのね」と、たまにいわれるけど、いえ、いえ、2色刷りのいつもの切手もございます。今回の記念切手はインドの薬草シリーズと建築物シリーズ。日本国内でも季節や相手に合わせて切手を選ぶので、今回も5種類から選んで、相手に合わせて貼ってみた。ちいさな自己満足のこだわりですけど。

5月16日(金)

 インドのNGOのインターンシップでデリーに来ているネーチャーゲームのお友達のNさんが遊びに来た。若い!まだ24歳のお嬢さん。一人で、インドへきて、女子教育のNGO団体で働いている。最近はインドへもインターンシップでやって来る若者たちが増えていると聞いている。労働賃金が安いインドゆえ、暮らしはとっても大変だと思うけど、若さって素晴らしいなって、お気楽な生活を決め込んでいる私はひどく感心してしまった。「暑いから、果物とヨーグルトくらいしか食べられなくて。後は、インド人の分けてくれるお弁当でしのいでます」といいつつも、お料理教室で習ったばかりのオクラのカレーとチャパティーをお土産に持ってきてくれた。インドではなぜか、日本人の若いお嬢さんたちはとても元気だ。Nさんは、インド人はみんな親切で、インドの暮らしは困らないけど、ドミトリーで一緒の西洋人たちとのカルチャーショックのほうが何倍も辛いといっていた。アジアな女性にとっては、西洋人との暮らしよりも、インド人との暮らしのほうが気が休まる?若い現代っ子でも、アジア的なセンスってやっぱりあるんだな?って、おばさんの私もすごく納得。私も欧米人よりもインド人との方が気が会うし、微妙な感覚が分かり合える。時々、自分はアジアだわって、思うもの。特に「女」を意識したときは。
 先日、見かけたジェネラルショップでの光景。インド人の男性と欧米人の女性の20代前半のカップル。(絶対、夫婦じゃないカップル)女の子はボーイフレンドの前で、堂々と生理ナプキンを買っていた。アジアな女の子ならどんなにさばけていても、こういう行為は出来ないと思う。インド人もしかり。日本人の男性だったら、どう思うだろうか?一緒に買い物するガールフレンドが生理ナプキンを買ったら?進歩的な女性から、お叱りがありそうだけど、女性的なタブーとか、奥ゆかしさとか、こういう恥じらいってアジアな女性じゃないとわからない感覚だと思う。インドでは生理中の女性は、保存食のマンゴの漬物に触れないというのも、感性的に納得できてしまうから。私も梅干を漬けるときに、母から同じことを言われたしね。

5月15日(木)
シンクの設置
 キッチンの改修工事はオオヅメを迎えている。シンクの下にスカートのグレーのタイルを張ったが、つま先が入るように、奥域を取っていないために、これではとても使いづらい。もっとシンクを手前に設置してもらうか、スカートを壊してやり直してもらうか頼む。キッチンは作業する人の動線がとても大事。つま先が5センチ入らないと、シンクの前に長く立つのはしんどい。毎回の事ながら、インドには工事の工程の段取りというものがまったくない。レンガ職人が積み上げて壁を作ったが、高すぎたので、タイル職人が壊して削り取る。さらに、ガスのホースの穴を開け忘れたので、(これは事前に注意したが、後で開けるからから、ノープローブレムといわれてしまった)これからドリルで、後からガスホース用の穴を開ける。穴を作って壁を作ったほうが、ずっと能率的なのに・・・。生のコンクリートが壁に飛び散るから、新聞でカバーしたがすぐに破かれてしまった。飛び散ったコンクリートをすぐにふき取っておいてと頼んだら、乾いてからすぐに剥がれるという。そのほうがずっと大変な作業になるし後も残るから、「今すぐに拭いておいて」と強く言って、ようやく職人さんが引き上げる前にふき取ってくれた。一事が万事こんな感じで、3歩進んで2歩下がる工事が続いている。ゆっくりやったほうが日当が増えるから、職人さんは絶対に急がない。だから、こちらも催促はしない。いつかは出来るだろう。

 アジアで初めてノーベル賞を受賞したベンガルの巨匠、ラビンドラナート・タゴールの「タゴール 寓話と短編・もっとほんとうのこと」内山眞理子 翻訳(段々社)をよむ。一番最後に収められている「カブールの人」を読んでいたら、がっちりと私の心の琴線に触れてしまったようで、涙が止まらない。本を読んで泣いてしまうくらい心を揺さぶられることがこの所なかったので、自分でも驚く。どうにもならない人生の歯車や、万国共通の親の愛。是非とも一読をお奨めしたい名作であった。また、またインドの名作に触れて、インド文学が読み漁りたくなり、翻訳されたばかりの「ヴィシュヌの死」を読み始める。ムンバイが舞台で、猥雑なくらい込み入ったごちゃごちゃの人々の暮らしざまに懐かしさでいっぱいだ。しばらく活字のムンバイを楽しんでいる。
 本日のランチは、クチコミ・ブレーク中の「バンコクNO1]というタイ・レストラン。タイ風さつま揚げ、青パパイヤのサラダ、グリーンカレーもなかなかでしたね。安くて美味しい庶民派レストランって感じ。ビールがないのが玉に瑕で、ちっとマダムたちのブーイングあり。飲めない私はジャスミンティーでしたけど。

パパイヤ熟してきた5月14日(水)

 本日もデリーレーヌの面々とランチである。明日もあるので、4日も連続の食べ歩きだ。歓迎会やら、送別会、夏休み前のお別れをかねてということだが、デリーはインド料理以外にもしゃれたレストランが多くて嬉しい。一気にお買い物情報に明るくなるのも嬉しい。デフェンスコロニーにあるブティックに、Iさんが頼んでおいたオーガンジーのドレスを取りに行くというのでついていく。インドのビーズや刺繍のドレスがたくさんある。本日はみるだけの我慢にしておく。

 裏庭のパパイヤの実が随分と色づいてきた。誰が狙っているのでしょう?小鳥たちもついばみ始めたので、きっところあいを見て誰かが採りに行くのでしょうね。マンゴが美味しくなってきて、デリーの市場にもたくさんアルフォンソ・マンゴが出回ってきた。お日様の光をたくさん浴びて今の季節は果物が本当に美味しい!

5月13日(火)
INAマーケット
 インドの朝は遅い。インド人は宵っ張りの朝寝坊でもある。夕飯は、9時とか10時。お呼ばれは、11時ごろになってようやく夕飯が出てくるくらい遅い。レストランもたいてい、夜は7時半以降じゃないと開かないし、ピークは9〜10時ごろである。さらに、朝はいつまでも寝ているらしい。市場さえもが、10時オープン。気温が高くなると品物が傷むからとINAマーケットに8時半に行ったら、まだ何もなかった。野菜や生肉、魚でさえも、10時にならないと市場が開かないなんて、アジアで、このような国は他にはないだろう。ワーカーさんも10時に親方のところへ集まって、やおら仕事が始まるのは、11時過ぎ。ひどいときは昼ごはんを食べて1時から何てこともある。重役出勤以上のスロースタートの国だ。INAマーケットのお兄さんに、今度は10時以降に来てくれたら、フレッシュな野菜があるからといわれたが、10時以降に買い物に行っていたら、午前中は他に何も用事がこなせなくなる。困った!でも、これがインド。午前中は野菜の買い物しかしなければいいのだ。夕方にも野菜の市は立つけど、5時以降に買い物していたら、これまた日本人の夕飯にはチョッと間に合わない。生活の時間のリズムの流れが、ずれると調子が狂う。日常の買い物が任せられる使用人が早く欲しいよ〜。

デリーは、今、花盛りである。少しだけ、デリーのお花見でもいかがでしょう。
         

5月12日(月)

 よかった!デリーにもヒンディー映画狂マダムがいたぞ!Lagaan以来どっぷりヒンディー映画にはまっているデリーレーヌ、もっともも映画通のSさんと、PVRへ封切り3日目のIshq Vishqを見に行く。いや〜、久々のヒンディー映画で、私は超ご機嫌です。カレッジ青春ラブストーリーでしたけど、主役のShahid君は、めちゃ私の好みです。かわいい!最近の新人男優は本当に美形そろいで嬉しいのですよ。(こういう発言ってかなりオバさんくさいことを承知の上で言わせてもらいましょう)相手役のAmrtaは、かなりぶりっ子でアイシュワリヤ風の声と、ぶりっ子なしゃべり方が気に入らない。セカンド・ヒロインのShenaz。この人の太鼓腹には私は怒ったね!いまどき、こんなオデブで、はみだしのおなかは許せない。贅肉が脇にはみだすなら、まだいいけど、前面にポンポコリンではみだしていや、出っ張っていて、私のほうがずっとおなかの出方は少ないよ〜。オオバツ!退場してよって感じくらい許せない。ダンスもへたくそで見られないってば。おっと、これでは「ボリウッドの花道」のネタになってしまう。
これから、しばらくシャールクの新作やら、リティックのボディービル・ショーかと思うようなカリナ・カプールとの新作もあって楽しみだ。今夜からは、カリシュ・カプールがSAHARAテレビで番組をはじめる。マードリーのお見合い番組がこけたあとだけに、カリシュマのテレビ進出はどうなるか?たのしみ〜!

タブラーの工房5月11日(日)
国際演劇学校
 頼んでおいたタブラーガできたので、GURU(先生)とNational School of Dramaの前で待ち合わせをして受け取りにいく。この学校は、かのシャールク・カーンも卒業した演劇学校で、タブラーの先生はこの学校でタブラーと教えているのだ。タブラーのお店はベンガル・マーケットとやらにある。コンノートプレイスにある楽器店の下請け店で、先生のなじみの店である。
 
 モスリム街の一角に、タブラー専門の工房があって、ここで注文して作ってもらった。
今週から、本格的にレッスンが始まる。インド滞在5年目にして、息子は初めて本格的にインド文化に触れる修行が始まったのです。今まで、サッカー以外に興味がまったくなかったのに、なぜか突然のタブラー修行である。もちろん、楽譜などないから、口三味線ならぬ、口タブラーで教えてもらう。なかなか、飲み込みが早くてよろしいとお褒めといただいたようだ。タブラーは2つの太鼓で、演奏するインドのパーカッションです。

5月10日(土)

 ハウス・キーピングのマヤちゃんはネパールから来た出稼ぎ労働者だ。給料を渡したときに、受け取りの名前のサインをするように言ったら、自分の名前が書けなかった。「ネパール語でいいのよ」っていったら、「学校へ行っていないから字がかけない」といわれた。「自分の名前も書けないのか・・・」と、ものすごく悪いことを聞いてしまったようで気まずくなってしまった。3日に1度バスが来る停留場から、半日かけて歩いた山の中からきたそうだ。だから、村には学校がなかったそうだ。ネパール人の成人女性の識字率は25%程度と聞く。北インドに来て、たくさんのインド人使用人と面接したが、ほとんどの女性は読み書きが出来ない。母語さえもほとんど読めないのが実情で、女子教育の低さをはじめて思い知る。ボンベイや南インド出身者の女性は結構読み書きが達者だったので、北インドの教育事情を目の当りにした感じだ。特に30代以上の女性は文盲である。使用人として面接に来るのは30代以上の女性が多いので、勢いこうなるのだ。しかし、そうした人の子どもたちは、学校へ通っていて、娘はちゃんと英語も書けるし読めるという。だから、メイドの子どもはメイドにならない。10年くらい前ならば、親と同じように、メイドの子どもはメイドになったが、読み書きが出来るようになれば、もう少しいい仕事が得られるわけだ。だから、いま、家庭の使用人として応募してくるのは、地方から出てきた学校へ行かせてもらえなかった若い子どもたちだが、そういうのもインドでは少なくなっているようで、慢性的な使用人の不足。熟練の日本人家庭のコックは高齢化が進む一方で、後継者がすごく少ない。若いコックさんも少ない。コック探しのなかで、「マダム、ヤングジェネレーションを新しく教育して、マダムがコックとして育てたほうがいいですよ。」とインド人の知人に言われる。
 ハウスキーピングなど、語学の要らない熟練仕事は、勢いマヤちゃんのような、「一生懸命」やれば評価されるということに燃えるネパール人になってきてしまった。だけど、インドには、まだ、「一生懸命」だけでは、自分の人生を切り開けないというのが現状だ。ネパール語会話集を取り出してみた。ヒンディー語と似ている。でも、私がネパール語を覚えるよりも、若いマヤちゃんが英語とヒンディー語を覚えるほうがずっといいだろうと思って、本を再びしまう。時間を見つけて、MAYAとアルファベットで、書けるように教えなければとおもう。

5月9日(金)
オーガニックのチキン
 オーガニック卵依然話したインドの野菜の農薬の話。ずっと気になっていたら、デリーにはオーガニックの野菜や鶏肉、卵を扱う「フレンチ・ファーム」という、フランス人が経営している自然食品のデリバリー専門店が、グルガオンにある。気温が40度以上になって、いくら“締めたて”とはいっても、生肉や卵を冷蔵庫のない市場から買ってくるのがためらわれていた。鶏肉は悪くなるアシが速いし。電話で注文すれば冷凍車で持ってきてくれるというので大助かり。早速注文。皮付きの鶏肉が欲しかったので、6羽分の胸肉ともも肉を頼む。りっぱなチキンが着たぞ!指定どうりに皮付きで。これなら、から揚げも、焼き鳥もいける。市場だと全部皮をはがされてしまうので、いまいちだったのだ。胸肉を開いたら、ポロリとササミ肉がはがれてきた。6羽分左右で12本のササミが取れた。酒蒸しして食べよう!卵は茶色い地卵で、黄味もぷりぷり。ヨードランみたいです。茶碗蒸しもこれならば黄色く仕上がりますね。野菜は日本人が食べるのは、ほうれん草くらいかな?虫食いがあるけど、気のせいか味が濃い。他にはハーブが各種。タラゴン、セージ、タイム、ローズマリー、マジョラム、パセリ。Bouquet Garni!!フレッシュなブーケガルニまであるぞ。さすが、おフランス!おしゃれ〜。エリアごとに配達日が決まっていて、南デリーは金曜日。月曜日はホテルって書いてあるから、フレンチやイタリアンレストランに出荷しているのね。ムンバイはエッグマンやサブジーワーラー(八百屋)がドア・ツー・ドアで何でも配達して“御用聞き”がいたけど、デリーにはこうしたサービスが少なくてちょっと不便。バスケットの卵売りから、卵パック入り卵になってしまって残念です。高いけど、デリーのスーパーマーケットにはオーガニック卵が各種揃っています。日付入りというのも嬉しいよね。たまに市場の買い物も楽しいけど、普段は“楽”しようって思う。値段交渉が一番不得意だから。

 ファームといえば、デリーに駐在する欧米人には、郊外の「ファーム・ハウス」に住む人もいるらしい。農場つきの古い民家ね。インド人が農場に立てた、ウイークエンドハウスというか、コテージや、別荘のようなものです。お庭どころか、農園付き!なんて、素敵なんでしょう!インドでファーム・ハウスよぉ〜。そういえば、ムンバイやプーネにはインド人のご主人様と結婚してファーム・ハウスに暮らしている日本人がいたのだ。鶏とか飼って、ハーブとか育てて。そうなったら、牛も豚も飼いたいわよ。次、もしもまた次インドに来たら、私もファーム・ハウスに住みたいよ〜。夢だわ・・・。誰か、私をファーム・ハウスに招待してくれないかしらん?そういえば、最近、結婚式もファーム・ハウスていうのがインドでも流行みたいです。リティック・ローションがバンガロールのファーム・ハウスで結婚式挙げてから。「軽井沢の高原教会で結婚式」みたいな感じかな?

5月8日(木)
私のチャート ムンバイのミセス・スワミからバースディ・カードと一緒にインド占星術のチャートが送られてきた。ムンバイを去るときに、「インド占星術を体験し忘れちゃったわ」という、私の言ったことを覚えていてくれて、よく当たるというNarayan氏にチャートを作ってもらったそうだ。ありがとう!ミセス・スワミ!
 インドは知る人ぞ知る占い大国です。インドの「アガスティアの葉」も有名でしょう?何でも星に聞いてみようって事で、独立の日まで、占って決めたというくらだから、占星術の生活にしめるウェートはとても高い。新聞にも、今日の「いい時間」や、星の運行についての暦が毎日載るくらいだ。インド人は生まれたときに、必ず占星術師のところで、自分のチャート作ってもらうそうだ。生まれた日にち、時間、場所(経緯と緯度)が大切で、これを元にチャートを出す。すごく難解な数式で作り出すらしい。このチャートを読んで運勢や可能性を知るのだ。私は自分の運勢ということについて、まったく興味がない。夢占いとか、星占いとか風水とか、とにかく占いを信じたことがないの。現実的な人です。自分の運勢を知りたいとはほとんど思わないけど、インドにいるからチャート表くらい作ってもらおうか?と思った程度だったのだけど、ミセス・スワミーはちゃんと運勢もみてもらうように頼んだらしい。結構、当たっていてびっくり。特に結婚した年、子どもを生んだとき、ジャカルタやインドへの転勤の年がマークされているのは驚き。ラッキーカラーは、以外にも赤、宝石もルビーが私にはいいらしい。その他、私のキャラクターは、70%は言い当てているような気がする。カーリーヘアーというところは違うけど、手足が長いというところや、熱しやすく、はまるとトコトンというあたりは大当たりかもしれない。まだ、英文の10ページを全部読んだわけではないけど、今後、当たるといいなというところもあって、期待しよう!
 特にサーバント運というところに「良いサーバントに恵まれる」とあるから期待しちゃう。サーバント運なんていうのまであるのが可笑しいけど。

 新しいコックさんは、インタビューのときは「コンチネンタルは何でもOK」のはずが、出来るのはスパゲティー茹でるのと、目玉焼きだけらしい。ガーン!ドーサとイードゥリーは任せてくれって言われてもね。毎日南インド料理ってわけにもいかないし。スイートもOKっていっていたけど「グラムジャムー」のことだったらしい。野菜をむくのもすこぶる遅いので、一人ですれば1時間で終わる夕飯の支度も、今は教えながらなので、4時〜7時までかかる。今日は「アジの干物」に「大根おろし」簡単にしよう!ちょっと、トホホって感じ。まぁ、気長にいくか?

5月7日(水)
日よけのサンプル 日よけと東側の新しいフラットオーナーのDr.シンに、先月分の水道くみ上げポンプの電気代を払いに行く。そのときの四方山話で、この家が築65年であること、裏の息子さん夫婦の別宅が建っているところには、その昔果樹園で、グレープフルーツや、マンゴ、パパイヤの木がたくさんあって、東側には、大きな菩提樹がたくさん植わっていたことを聞いた。あいにく、今、東隣は新しい集合住宅が建設中で、緑もすっかりなくなってしまって、残念。

 隣の新しいフラットから我家のテラスが丸見えなので、日よけの“すだれ”を頼む。どこへ行けば注文できるのか?マーケットで見積もりしてもらったら4000ルピーといわれて、運転手のナレーシュさんに聞いたら、「そりゃ、マダム高いですよ。道端の日よけのすだれ屋に聞いてみましょう。」って道端の日よけ売りに値段の交渉してもらう。なんと3分の一の価格で出来るという。計りにきてもらって注文すると、夕方には出来てきた!早いね〜。ちゃんと巻き上げ用の滑車も付いている。今まで、汚いマット売りだと思っていたら、これはすだれのサンプルだったのだ。マーケットには、室内でも使えるとてもしゃれた“すだれ”もあるのだ。うちには提げる必用の窓がないのが残念なくらい、いいものがある。

5月6日(火)
ショウリ氏
 今日はインドの愛のキューピットです。本日、私はある日本人女性に頼まれて、インド人男性にラブレターを渡しに行きましたぁ〜。
 今から33年前、大阪で開かれたEXPO70大阪万国博覧会の時に、インド・パビリオンで日本人コンパニオンを務めたMさんから、「デリーに行くならぜひとも、私のインドのダーリンに会って、私の手紙を渡して頂戴!」と言われていました。当時日本からは3名の日本人女性がコンパニオンを務め、インドからは、32名のインド人女性のコンパニオンが派遣されました。このインド側の派遣団の団長を務めた人が、現・民営化大臣アルン・ショウリ氏のお父さんのMr. H. D. Shourieでした。すでに90歳近くのおじいちゃまですが、なんと我家から歩いて5分くらいのところに住んでいることがわかり、日本人のコンパニオンだったMさんから、「近くなのでぜひ訪ねて私のメールを届けて頂戴。さらには、元気なお姿をデジカメ写真で送って!」と、依頼を受けたYUKKEキューピットは33年の熱い思いをお届けすることになったのでした。万博当時、インドのコンパニオンの多くは上流階級のお嬢さんたちで、日本の駐日大使夫人になった人などもいて、今でも印日の間でご活躍されている方が多く、コンパニオン同士では長い友情が続いているそうです。若かった、日本人のお嬢さんたちには、一緒にパビリオンで活躍して成功させたという絆が深く、若くて、優秀で、スマートなショウリ氏は憧れの的だったそうで、「インドのダーリン」は、永遠の恋人なんだそうです。熱い手紙を胸に、「大臣邸」を予約なしに突然訪ねたのですが、ラッキーにも、すぐに通していただけて幸いでした。もちろん、門では手荷物検査や、身分証明書の提示などもあったのですけど。
 ショウリさんは、居間で奥様と二人で安楽椅子でテレビをご覧になっていました。日本人の私の突然の訪問にもかかわらず、「良くぞ訪ねてくださった」と大喜びで迎えてくださり、Mさんの手紙を何度も繰り返して読まれていました。あいにく、私のほうに時間がなくて、ゆっくりと当時のお話がきけずに残念でしたが、依頼のデジカメ撮影も無事に済み、さっきメールで日本に送ったばかりです。ショウリさんは、「遠かった日本、当時から思うと、今は何て小さな世界になったことか、私も早速インターネットを習うぞ」と意欲満々でした。「是非ともお食事にいらっしゃい。ご主人様ともにご招待しますよ。」と固く約束させられて、辞してきたのですけど、印日の友好の舞台でご活躍されてきたショウリさんのお話を聞くのが今から楽しみです。「歩いてすぐのところに住んでいるのね。今じゃ散歩もままならないけど、いつでも寄って行ってくださいね。日本の話が聞きたいので」と、奥様にも言っていただき嬉しかったです。
Mさんのご紹介で、今度はインド人コンパニオンだった皆さんもお訪ねする予定です。これまた、お近くに住んでいるので今から楽しみです。

5月5日(月) こどもの日

 今日はインドの話題から離れて、こどもの日特集
このホームページのお友達リンクにもご紹介している「ポポタム」の大林・澤田ご夫妻から、3年前に「アンパンネット」のご案内をいただいた。アンパンネットというのは、障害を持つ小学生の介護ボランティア。メールを通じてボランティアが次々と名乗りを上げて、今は20人ほどで上手く回っている。
 「原因不明の発達遅延」の障害を持つ、志麻ちゃんを、地元の小学校の普通学級に通わせたい。障害があることで普通の子どもの集団から隔離しないで欲しいというご両親の願いで、教育委員会や学校と相談後、「親が登校から下校まで介助するなら」という条件で入学が認められた。しかし、4人の子どもがいて、夫婦ともに仕事を持ち、さらに高齢の祖父母も抱えての「通学のための介助」を両親だけで、どうやってこなしていくか?そこで生まれたのが、志麻ちゃんが通っていた保育園の仲間たちを中心といて出来た介助ボランティア「アンパンネット」だった。アンパンネットは、志麻ちゃんが唯一はっきり発音できる「アパンパンマン」からとって命名された。この3年間、アンパンネットの様子をインドまで送ってくださった通信で、志麻ちゃんが、今年無事に4年生になったのを知った。アンパンネットの活動は障害を持つ子どものための活動の成功例の一つとして、読売新聞やクロワッサン4月10日号でも紹介されているので、ご覧になった方もいるかも知れない。理想的に運営されている活動だが、たくさんの問題は残っていて、ご両親のご苦労はまだまだあるのだが、この活動をぜひとも今回ご紹介したいと思う。この3年間の活動の記録をまとめたのが、「志麻ノート」として発行されている。ご興味のある方はぜひともアクセスしてみてください。

 実は、志麻ちゃんとは、縁を感じてしまうが、私がインド赴任直前に勤務が内定していた練馬区の児童館に、いま、志麻ちゃんは下校後通っている。インドに転勤していなければ、きっと志麻ちゃんと毎日会っていただろう。すべての子どもに教育の自由と権利があることをもう一度思いだす、こどもの日。
5月4日(日)

 難なく、次のコックさんが見つかった。AWA(American Women’s Association)が運営している、家事補助者紹介所で探してきた。このボランティアの団体は、外国人家庭で働きたいインド人(ネパール人やチベット人も含む)の斡旋をしてくれる。警察で犯罪履歴がないことが証明されていて、あらかじめAWAがインタビューしておいてくれた本人の経歴(出身、宗教、年齢、職歴、希望給与や待遇などなど)と、過去の職場の推薦状がファイルになっていて、朝やってきたインド人がファイルを提出する。雇用者側は、ファイルを閲覧して希望の人が見つかれば、オフィスの中に招きいれて、5分間インタビューが出来る。そこで気に入れば連れて帰っても良いし、連絡先も聞ける。駄目ならば見つかるまで、何人でもインタビューが出来るのだ。

 私のところに来てくれる事になったのは、タミル出身のコックのKannanさん。インド人家庭とオランダ大使館員の家でコックの経験がある。奥さんと娘がそれぞれ日本人家庭で、現在コックとして働いている。日本料理の経験はまったくないが、人柄はすこぶる良い。一緒にいた奥さんも朗らかだし、娘さんの雇用者の評判もとても良い。彼の信用度は家族が日本人家庭で上手く働いているという点でも安心だ。日本料理を一から教えるのは、すでに何回も経験があるので、これは本人のやる気さえあれば、私のほうはまったくかまわないのだ。英語力もしっかりしているし、英語の読み書きもある程度できるから、英語のレシピも大丈夫そうだ。40歳の働き盛りで、やる気は満々。温厚そうで物腰が柔らかいのが一番の決め手。ムンバイでもタミラーの友人が多かったせいか、南インド人気質が私にはいいのかもしれない。さっそく、月曜日から来てもらえるようにして、当分トライアルで働いてもらう予定だ。古い料理雑誌のグラビア写真を切り抜いて、テーブルセッテヒングの「ご飯は左、汁は右、箸と箸置き」とか、軽量カップや軽量スプーンについて、野菜の切り方、味噌汁の簡単なレシピを用意した。最初は手の洗い方、水の煮沸、麦茶の作り方、ふきんの管理などから教えることになるだろうが、次にどこへ行っても困らないように、きちんと教えたい。新しいことがはじまるのは新学期みたいで嬉しい。

 息子のタブラーの先生が、デリーでご活躍のカッタック舞踊のミヤビさんのご紹介で見つかる。今日は簡単なインタビューをして、お昼を一緒にご飯を食べていただく。モスリムの先生なので、ポーク以外は大丈夫との事だったけど、トマトソースのパスタ、シーフードのサラダ、野菜のコンソメスープにアップルパイにした。トマトソースのパスタはほとんど召し上がっていただけなかったけど、あとは大丈夫だったみたい。
来週から本格的に練習が始まる。タブラーはインドのパーカッションで、モハメッド先生は、すでにジャズのセッションなど海外でもご活躍中のなのだ。ちょっと、ジャキール・フセインにも似ている。

キッチンの流し台 キチンプランさて、問題の我家のキッチンだが、大工さんと相談したリフォームの絵図面ができてきた。現在は写真のように陶器のシンク、写真左上にタンドリー釜用の大きな煙突がある。時代ががっていて、捨てがたい魅力ながらもやっぱり私には使いにくい。大家のDr.シンに大工さんが絵図面を見せに行ったら、早速、昨日「ご進言してもいいかしら?」とやってきた。古い陶器のシンクの交換と、タンドリー釜用の煙突をつぶして、窓辺の換気扇の下にガステーブルを移動して、シンクをステンレスのものに変える予定だったのだ。Dr.シンと、息子さん、お嫁さんまでが来て、キッチンで、あーでもない、こーでもないとパンジャブ人らしくガンガンまくし立てる。「この煙突はまだ使えるので、この煙突に電気換気扇をつけて、この下にガステーブルをおくことにしたらどうかと思うの。シンクの場所は変えないで、ここにそのままつければいいでしょう?そのほうが費用も安上がりだし、工事も簡単でしょう?」との事。あらら、このタンドリー釜用の煙突ってまだ使えるんだぁ・・・。そういうわけで、工事費用はこちら持ちながらも、オーナーのご進言に沿って、設計変更をしなくてはならなくなった。
お嫁さんが、リビングのインテリアとレイアウトを、とてもほめてくださる。「暖炉も使えるから、冬はいいわよ。」との事だった。リビングの暖炉の煙突は生きていて、まだ使えるのか!やったぁって感じ。早く冬が来ないかなぁ
 キッチンのリフォームについてはきっと、とんでもなくたくさんのリポートが書けるかもしれない。なぁんて、のんきなことは言っていられないかも。タンドリー釜の煙突の電気換気扇とやらは、いったいどんなものかも、私にはわからない。
5月3日(土)
綿の木 本日ニューデリーは、なんと砂が降りました。朝寝ぼけマナコでカーテンを開けると、珍しく曇り。どんよりしていて変だなと思ったら、なんと細かい粉塵のような砂が降っているではありませんか。この時期、ラジャスタンから砂漠の砂が風に乗って、熱風とともにやってくるとはきいていましたが、あたり一面スモッグのように砂埃で薄暗く、空までくぐもっています。遠くはベージュ色にかすんでいて、白い車にも、砂が積もってしまって、ベージュ色になっている。インド人もひどい天気だと困惑してます。こんなにひどい砂の降りは珍しいそうです。あまり風が強くないのが幸いしてますが、お昼ごろに吹いた突風で、掃除したばかりの部屋もざらざら。空気清浄機は、詰まってしまって止まってしまい慌ててフィルターを交換しました。気管支が弱い私はこういう時はじっと家の中にいるに限る。
 コットンボール今、デリーの街ではコットン・トゥリーが開花して、テニスボールくらいの綿が、風に乗って舞っています。大使館のある通りの街路樹にたくさんあるので、ホームレスの人たちがこのコットンを拾い集めています。木綿の布になるコットンとは違い、主にクッションや枕の詰め物用のパンヤ・コットンで、可愛い綿ボールですが、こういう埃っぽくて風のある日に舞うと、困りものです。キウイのような茶色い実がはじけて、ポッと白い綿毛が落ちてくるのは可愛いものなのですけど。
 写真を撮っていたら、「マダム、あそこのほうがいい感じだ」とか、「こっちのほうからが良く見える」といつもながらおせっかい焼きのインド人に取り囲まれてしまった。何もきかなくても、上記のような、コットンボールの説明をみんながしてくれて、よくわかりました。ありがとう!
じゃらじゃら指輪5月2日(金)

 じゃーん!お待たせいたしました。デリーレーヌ御用達の「ジャラ・ジャラ指輪」でございます。20年前のデリー駐在のご経験のある奥様によれば、当時からデリーレーヌの間でブレークしていたそうで、どうして今まで、デリーの一番人気のお土産にならなかったのでしょうね?どこのガイドブックにもないものね。う・ふ・ふ、ひそかなデリー駐妻の隠れヒット商品だったのかも〜。おしゃれインド雑貨にて公開しちゃいます。左から、白はムーンストーン、青は、ラピスラズリー、水色は、ターコイズ、上の黒はオニキス。どれでも一個、Rs200。可愛いオーガンジーのバック入り。他に、赤のガーネット、紫のアメジスト、黄緑のペリドット、緑のグリーン・オニキスなどがあります。シルバー加工。サイズも各種あるので、注文すれば一週間で。さらにお土産用に大量注文の場合は、自宅まで行商に来てくれます。ピンキーリングで小指にしても、なかなか可愛いですよ。

 この所、気温の上昇が40度どまりで嬉しい。暑いけど慣れてきたせいか、2度下がっても楽って感じ。だけど、乾燥がひどい。どのくらい乾燥がひどいかって言うと、冷たーい麦茶をコップに入れても、コースターがぬれるどころか、コップの外側にまったく水滴が出来ません。さらに、ご飯をよそって、急いで食べないとすぐにパサパサになります。ご飯を食べ終わって、すぐに流しの水につけないと、ご飯茶碗がカラカラになってご飯が落ちにくくなくなります。
勢い、私のお肌のダメージも大きいってことよね。怖い、怖い。

5月1日(木)
絵の映画の看板 午前中は学校のPTAミーティングで、午後は家庭訪問。忙しい一日。
雑誌の取材で、インドの写真が何枚か必要といわれ、ヒンディー映画館の写真撮影にコンノート・プレイスへ出かける。
話は違うが、デリーは、なんと今年は、国際クリーン・シティー賞を受賞している。確かに、汚いイメージを変えるべく、街の美化運動がインドにしては、かなり本格的に行われたせいか、町並みは綺麗だ。さらに今の季節は、火炎樹など樹木の花がたわわに咲き乱れて、美しいこと。ハムとソーセージ看板も規制が厳しいせいか、日本やムンバイのような看板が、街の美的感覚を無視していたるところに立ち並ぶということがない。だから、ムンバイから来たときはすごく寂しかった。何しろ、ムンバイのネピアンシーロードも、ぺダーロードも、マリンドライブも、映画のポスターと看板一色で、今何が上映されていて、誰が出演しているかは、一目瞭然だったからだ。デリーは映画の看板が街路にまったくといっていいほどない。映画以外の看板もほとんどない。緑の街路樹や、建物の建築物の高さの規制もあるから町並みが都市計画どおりに美しく保たれている。「デリーは綺麗だわ」というと、デリーしか知らない人はびっくりするが、口の悪い人は、ムンバイをインドの巨大ゴミ箱と呼ぶくらい猥雑な色彩の看板であふれていたから、この2つの町並みのギャップは大きいのだ。
 コンノート・プレイスの映画館で一番人気のHEROの写真を撮る。びっくり!だって、看板が「絵」なのだ。チェンナイでは「映画の絵の看板」を見たことがあったが、ムンバイの映画館はすでに、全部カラー写真だった。でも、レトロな感じでなかなかいいじゃん。庶民のマサラムービーって感じ。サニー・デオルとプリティー・ズンダ、ミスユニバースのプリヤンカ・チョップラーの出演。でも、ヒンディー映画の上映館がムンバイよりもずっと少ないので、ボリウッドの映画館がすごく恋しいです。
 デリーのスーパーマーケットではハムやソーセージ、チーズもこんな冷凍ケースに入って売られている。インドではじめてみる。ムンバイにはまだ、こうしたスーパーはなかったから感激!ハムやソーセージの種類の多さにもびっくりだ。