Diary

デリーレーヌ ざます!


〜お気楽マダムのデリーな日々〜
2004年 3月 最終回



3月14日(日) 最終回

 いよいよ、帰国の途につきます。
ナマステ・ムンバイを公開して早4年。頂いたホームページビルダーで、四苦八苦しながら作成して6時間かけて転送し、ムンバイからの家族レターを公開したのが、つい昨日のようです。

 デリーに移ってからは、殆どYUKKEの独断場と化したのですが、毎日の小さな日常を大切に慈しみながら暮らす事を再認識したスワガット・デリーでした。

 このホームページは、ドメインの支払いが続く限り公開して行こうと思っています。ただ、印度は日進月歩でドンドン変わっています。決して牛歩の歩みではないと思います。だから、来年にはもう、ふるい情報になっているかもしれません。5年前に比べたら、劇的な変化だと私には思えるのですから。掲示板「かほな マサラ へい」は、そのまま継続します。本体の新情報は更新しないけど、今までの旅や、おしゃれ雑貨の整理はしたいと思っていますので、時間を見つけて修正したり、加えたり、再更新するとは思います。

家族について、
お父さんは、もうしばらく「見届けていたい印度」なんだそうです。帰れと言われない限り踏みとどまりたいとの意向です。余り印度にはまりすぎて、ベナレスの川べりをオレンジの袈裟に包まれて、さまよっていたりしないでおくれと思っています。

麻子は、高校3年です。大学進学も見通しがつき、今は再びチアリ−ディング部に復帰。何か燃えることがないと生きている気がしないというガッツのある女の子になりました。将来の進路を見定めての勉強も始めました。一人で2年間、東京でがんばったので、とりあえずしっかり自立、何でも一人で出来るようになりました。とにかく、今は食べることに情熱を燃やしてもいるので「好きなものが、たくさん入ったお弁当」を持って通学することが一番の楽しみな春だそうです。

太郎は、男子600名の高等学校へ進学します。いきなり大規模男子校!でも好きなスポーツを思いっきり出来るのだからいいかもしれません。本人は怒るけど、はっきり言って、家ではかなり甘ったれ坊やです。尖がっていますけど、電車もバスも、買い物も上手いこと出来ません。自立がまず第一、早いとこ、「おかあさーん!」と泣きつくことがないようにしてね。でっかくなった(180センチ、70キロ)ので、力仕事は頼りになります。単身家庭の男手は太郎だけ、しっかり頼みますよぉ!
 
 さて、帰国後、吉祥寺ユニクローゼと化すYUKKEの暮らしはどうなるでしょうか?しばらくは逆カルチャーショックに泣くでしょうね(笑)。私たちとちょうど入れ違いに弟家族がシンガポールへ転勤です。シンガポールとデリーを拠点に、時々は、フラリとアジアな暮らし(旅じゃなくて)を楽しむかもしれません。印度との関わりがこれで切れてしまうのは、残念ですけど、次は何がやりたいのか?今は具体的に決まっていません。いつの日か、ナマステ・ムンバイの別館が出来るかもしれない・・・。

 お暇なら、また、お寄り下さい。長い間お付き合いいただきありがとうございました。私へのメールはこちらへ
フィール・メレンゲ(また、どこかでお会いしましょう!)
3月13日(土)

 思い出の卒業アルバムをつめてアナカン(別送航空荷物)を発送する。会社負担の容量は、2人分で50キロ。帰国後1週間くらいで受け取れるらしい。すぐに使う日用品や、最後まで必用だった学用品を入れて送る。これは成田で別送品申告をしなくてはならないのだ。どうやるのかな?まぁ、日本語だから、わからなければ聞けばいいか…。
シジュウカラのヒナ
 最後の最後に印度で殺生することになる。
ウィンドウ型エアコンの下に野鳥が巣を作った。毎朝、小鳥がよく鳴くな〜とは思っていたけど、鳥インフルエンザの心配もあって、エアコンの下にある巣は泣く泣く撤去する。エアコンを使わなければいいのだけど、まもなく人間はエアコン無しでは生きられない。AC(エアコン)の点検マンも、電気修理人のシンさんも、コックさんも、スイーパーさんも余りの可愛さにどうしようかとしばし苦悩して、みんな困惑。「マダム、どうしましょう?」ひゃ〜。困った、困った。インド人なら絶対撤去しないだろうなぁ。私が、“撤去せよ”と命令を出すってことは、なんて無慈悲なマダムだと皆が思うだろうなぁ。「このお菓子の空き箱に入れて、エアコンの下の窓の桟に置いてみて?」と言って、みんながようやく納得。でもシンさんが、「きっと動かしたら助からないよ。」とポツリ。ゲッ!本当?いや〜ぁ〜ん!!(泣き!)
 スズメバチの巣とか、ハトの巣とか、今度は多分、四十雀(シジュウカラ)の仲間。印度で巣を撤去することは、なんとも殺生な嫌な気持ちを味わう。何とか、無事に育ってくれますように…。

 スイーパーのデヴィちゃんに、机の上の拭きかたをもう一度、帰る日の前日に教える。「あのね〜、机や、コーヒーテーブル、ベッドサイドテーブルの上を拭くときは、上にあるものや、灰皿とかを一度どかしてその下も拭くんだよ。そうしないと、埃が物が置いてある周りにドーナツ状に残るでしょう?」見てご覧?といって、物をどかして汚れている箇所を指し示す。嫌なおばさんと言われようが、言うべきことは、ちゃんと言って教えないとね。でもうちの子供たちに掃除させても、同じだと思うな。もっと出来ないかも。日本の中学生くらいは、ちゃんとお掃除って出来るのかしら?結構、箒が使えないとか、雑巾がけどころか、雑巾も絞れなかったりして。デヴィちゃんは、まだ15歳だもの。出来なくて当たり前だね。最近ようやく、朝はニッコリ笑って「グッドモーニング」と言えるようになった。でも、お父さんと太郎には、しかめっ面で、、消え入るような小さな声でしか、まだ挨拶は出来ない。そんなもんだね、15歳だもの。印度に残していく、もう一人の娘って感じだな。

 午後、太郎は、最後のサッカーの練習。練習後、お別れと今年一年の締めくくりでピザパーティー。サッカー小僧もいよいよ卒業。幼稚園からずっとサッカー一筋だったので、思い切りボールを蹴り、自分なりにけじめをつけているみたい。高校では、お父さんと同じくアメリカン・フットボール部に入るらしい。目指すは、ワイド・レシーバー!こうご期待だ!
3月12日(金)
卒業式
 卒業式

 3年の約束で印度へ来た太郎であったが、結局5年。義務教育の半分以上が印度であった。日本の同年代の子から遅れてしまうのじゃないかと、思春期の息子は、時には焦燥感も感じたりしたようだが、今は、「印度で暮らして、インドの日本人学校で学べて本当に良かった」と思っているそうなので、親の都合で帯同した私たち親のほうも、これでよかったかなと思ってホッとしている。本人にとっては、進学よりも印度を離れることの方が重要な問題らしい。
 長いこと、太郎を見守ってくださったBJS、DJSの先生方、印度で出会った多くの皆さん、そして、いつも日本からエールを送り続けてくださった練馬の小学校の先生方、知り合いの皆さん、ありがとうございました。無事に卒業いたしました。

 夜は謝恩会。みんなと別れを惜しむ。いやだよぉ〜、私より先に涙ぐむな!また、会えますよ。
先生方、本当にお世話になりました。ここに、ご出席されない先生方にも心より感謝です。ありがとうございました。
3月11日(木)

 私が体調不良であまり出歩かないので、お別れにAさんが、生後4ヶ月の赤ちゃんと一緒に訪ねてくださる。印日ミックスのまさに珠のような美しい赤ちゃんである。インド人の赤ちゃんは頭が小さい。この坊やもパパの血筋か?小さなお顔に、ぎゅっと大きなお目のパーツが詰まっていて、長い睫毛、小さな口元でハンサムこの上ない赤ちゃんである。赤ちゃんのお名前は「瞑想を与える人」という意味のお名前で、なんだか、崇高で既に生まれながらに悟った哲学者のようなつぶらな瞳でじっと見られると、その無垢な人に、私の邪心なんかすっかり、見透かされてしまいそうな気もする。
 
 印度ではよく、赤ちゃんを褒めてはいけないといわれている。余りに綺麗で、可愛いと人や神様の反感や嫉妬を買って、魔物が取り付いて病気や不幸になるという考えからである。だから、大事な赤ちゃんは、人の集まりや、外出時にはそういったことに巻き込まれないようにカジョールという黒い墨で目の下を隈取り、汚す。汚しておけば魔物が寄り付かないからだ。Aさんの家でも結婚式などや、来客時に多くの人に抱かれるときは(インド人は赤ちゃんが大好きで、皆が代わる代わるに抱きたがる)、カジョールの替わりに黒いほくろ状の丸をこめかみに描くそうだ。「気のせいだと思うけど、黒丸忘れると、赤ちゃんの体調が思わしくないのよ。印度だからやっぱり、意識してる。神様一杯いるし、おばあちゃんの言いつけどうりに黒丸本場インドのレトルトカレーつけてるのよ。」とのことだった。私も子どもの遠足におにぎりを4つとか持たせたくないし、爪は夜切るのはためらわれるタイプなので、なんとなくわかる。たとえロケットが飛ぶ時代でも、たくさんの神様や、魔物なんていわれたら、母親はやっぱり心配だ。
 坊やは私の抱っこがお気に召してくれたみたいで、すやすや腕の中で寝てしまって、瞑想を与える人に睡眠を与える私である。この子が大人になるときは日本と印度はどんな風になっているのでしょうか?

 日本食のスーパーへ行って、お父さんのために日本食の補充をする。次に私が渡印するまではこれで大丈夫だ。そこで印度のレトルトカレーを発見。お店の人に「美味しいでしょうか?」と聞いたら、「印度のカレーはこんな感じです」という程度には美味しい」とのことなので、土産に買い求める。お鍋で熱湯3分か電子レンジでチンするタイプ。この所次々とインスタントやレトルト食品が発売されている。こういうのを買うのは上流クラスの共働き世代くらいなのであろうか?1つのパッケージは、庶民の行く中流レストランのターリー(定食)並みの値段である。美味しいものとは思えないけど、こんな感じってことで納得できれば良いかなぁ?印度で本場のカレーを食べてしまうと、こんなのじゃ満足出来ないことはわかってはいるけど。

3月10日(水)

 今日は、社内の送別会。私は送られるのが苦手なので、照れ隠しにちょっと緊張した。ちゃんとお世話になった御礼が言えたのか?今となるとあがっていて定かではない。ケロリだけは出来たけど。「空港の見送りなんかに絶対来ないでね」と、身近な人に宣言する。

 印度に暮らす某ジャパニーズ・ビジネスマンから、先週、たくさん詠まれた川柳集をいただくた。印度に暮らすご主人様の目線で詠まれていて、とても愉快。印度を暖かい目でごらんになっていらしゃるのがよくわかります。印度では既にエキスパートと呼んでも良いくらい長い駐在のご経験がある方の作品集。
 「掲載してもいいでしょうか?」とお聞きしたら快諾いただいたので「スワガット・デリー」の最後のインデックスに新規増設「サーヒーブ 川柳」、ご感想などは、直接詠み人宛てへお送り下さい。サーヒーブとはヒンディー語で「ご主人様」という意味です。

私のお気に入りは、

 恥を忘れ 言ってみましょう 5割引
 母を見て やがてこの娘も 二段腹
 印度では 定刻主義は 非常識 (特に結婚式)
 ベジタリアン されどほとんど 肥満体  


どうぞ、サーヒーブ川柳をお楽しみ下さい。

3月9日(火)

 今日は、太郎の受験報告とお礼を兼ねて、ムンバイ日本人学校と、ムンバイの友人たちにお別れのご挨拶で日帰りでムンバイへ行く。早朝のジェット・エアーは、ちょうど羽田から大阪へ向かうビジネスマンで一杯のように、スーツ姿の人ばかりで、座席に座ったとたんPCを開く人が多い。Dosaを注文してビジネスクラスのフライトを満喫。(溜まったジェットエアーのマイレージを消化させる)

 スラムの屋根の波半年ぶりのムンバイである。
 空港に降り立ったとたん、まとわりつくような、くどくてジットリの湿気、暑さ、押し寄せるスラムの屋根の波、相変わらず濁っているアラビア海、猥雑なほどの混乱と汚さ、ひどい渋滞…。インドの巨大ゴミ箱と悪口をたたかれるムンバイである。でもね〜、それのどれをとっても、暖かくて懐かしい。それも、これもぜーんぶ含めてムンバイを抱きしめたくなるくらいな愛着を感じるなんて。私のインドの根っこは、やっぱりムンバイ!長くインドに住みすぎて、深く張りすぎた根っこは、ここムンバイの地のものであることを再び訪ねて実感。ムンバイのインド人の友人たち、古株の日本人の友人、みんな人情が厚すぎるくらいなんだもの。熱血ドライバーのスレーシュは破顔の笑顔で出迎えてくれる。

 アラビア海太郎は、ちょうど、ムンバイ日本人学校で行われているホーリーとお別れ会に特別参加させていただく。私は、その間にミセス・スワミーをたずねる。カフェリッジの八百屋も、ローアストアのおじさんも、私を覚えていてくれてあちこちから「マダム〜、元気だったか?」と声がかかる。ボンベイ・ワーラーの愛想のある人なつっこさが、ツンケンしているデリー・ワーラーのなかで暮らしていたせいか嬉しくなちゃう。下町の人情って感じ。

 途中、携帯電話で、プレマさんや、ニルファさんへ電話。みんな元気そう。時間が合わず今回は会えないけど、絶対の再会を確認しあう、ムンバイの親友たちである。

 Bitter Lemonのブラウスミセス・スワミーは、なんだかすっかり歳をとり、老けてしまっていた。たった1年ぶりなのに…。これは、口には出せないなと思っていたら、「ひざを痛めてね、体重を7キロ落としたの。でも身体の方は元気よ。大丈夫だから」と、きっと私の困惑顔に出てしまったのだろう、隈が濃くなった瞳で、ニッコリ微笑むが、やっぱり寄る年波には勝てないなぁと、寂しく思う。次にあうときまで、絶対元気でいてねと心でつぶやく。私の好物のバタータ・ワーダーとミントチャツネをたくさん作って置いてくださった。お願いしてミセス・スワミーの特製のミントティー(いつも、お庭の摘ジュンパ・ラヒリの新作みたてミントで煎れてくれる)を頼む。お孫さんのこと、お嬢さんのアイーシャのブティックのことなど近況を話し、編集者らしく「ジュンパ・ラヒリの新作The Namesakeは、読んだ?」といって、買いおいてくれた本をくださる。「前作の方がいいわね。彼女は短編向きだわね。」とおしゃっていた。アイーシャのニューブランド「Bitter Lemon」のブラウスだけど、あなたらしいのを選んでおいたからといって、ミラーワーク入りのブラウスもいただく。なんだか、娘のムンバイ里帰りのようである。次の予定もあり、たった1時間ではあったけど、「泣かないからね!必ずまた会いにに来るから」といって元気よくお別れする。年老いた母を一人残すような寂しさで、胸が一杯。

 太郎とシャムラーさん私がいない間に生まれた友人の赤ちゃんにあって、仲良しの古株ボンベネーゼと再会ランチ。ムンバイは駐在任期が長くて4〜5年以上の駐在者が多い。生活環境は、デリーよりずっと悪いのに、みんな元気にがんばっていてくれていて力強い。ムンバイはいつもお集まりはカレー。今日もジュエル・オブ・インディアでカレーのランチ。デリーではイタリアンやホテルのブッフェ、日本食レストランランチが多いが、ムンバイはまだそういうしゃれたところはないので、ボンベネーゼのお集まりはカレー・ランチ。でも久しぶりの美味しいムンバイのシーフード・カレー(プロウン・コリワダ、マナガツオのミントタンドリー)を堪能。学校のこと、婦人会のこと、そしてインド文化研究会のボンベイクラブのことなどを聞いて、古株仲間と盛り上がる。2年近くかけて、ボンベネーゼがグループ翻訳に取り組んだラーマヤーナが、完成したとのこと。近頃は、新聞(The Times of Indiaのボンベイ版)にこの活動が取り上げられたせいか、ムンバイ在住の韓国人マダムの間にもインド文化研究会が発足して、ヨガや、サリー、そしてラーマヤーナ研究が始まったそうだ。これからは相互にいい刺激が与え合えるに違いない。

 夕方、待っていてくれたメイドのシャムラーさんと再会。すっかりぽっちゃり太っていてこちらは元気そう。今は単身者の家庭のお手伝いなので、時間的に余裕もあるのだろう。我が家で、いかにこき使っていたかってことだね。太郎をみてほとんど涙ぐむ。お坊ちゃまとのツーショットにはかなりの身長差。5年前は、太郎はシャムラーさんと同じくらいの背丈だったのだから、肉(牛・豚)がなくても子は育つってことね。シャムラーさんが育ててくれたも同然。感謝一杯の気持ちを太郎は恥ずかしがって上手く言えない。でもシャムラーさんはわかってくれたみたいだけど。

 別れを惜しみながら、急いで空港へ向かう。またムンバイに来られるだろうか?大好きなムンバイ!私たち家族の第3の故郷である。(第2の故郷はジャカルタ)

 感傷に浸っていたら、帰路の飛行機、前列ビジネスクラスの一番前に、女優のシルパ・シェッティーがいた。もう、何度も盗み見ちゃう!真っ白な刺繍のサリーに大粒の真珠のネックレス、ヴィトンのベージュのエピのバック。大きなルビーの指輪。ドロップくらいはあるのよ!カルティエの時計。通路を隔てて反対側だからくまなくチェック。ものすごーく綺麗だわ。背も高くてグラマーですね。髪はかなり茶髪にしている。さらっさらになびかせて。機内食はフルーツだけ召し上がっていた。隣のマネージャー(?)か、プロデューサーの男性はPCで振り付けの確認していた。スッチーさんはミスター・ゴーパルと呼んでいたが、こちらもハンサム。映画関係者なのか?映画の振り付けって最近はPCでシュミレーションしているんだね。びっくり。飛行機を降りるときは、ターミナルへの運送バスとは別の車がタラップの下に来ていた。パーサーのご案内でさっと消える。さすが大女優!
3月8日(月)

 Bangla Foodムンバイ土産を買いにKALEVAへ行く。隣に新しく出来たBANGLA FOOD(111-113 Bangla Sahib Marg New-Delhi)という、ファミリーレストラン風のスナック店で一人ランチするジャパニおばさんである。だって、お腹がすいて、我慢できなかったんだもん。Dosaもあるが、私はDosaの次にパニール入りのカマン・ドクラ(Dokla)が、大好きなの。グジャラティーのスナックだけど、蒸したカステラ風のスポンジ(甘くない)にミント科マンドクラとサモサチャツネとトマトチャツネを交互に塗ってパニールを挟んだもの。(写真右:中央上)コリアンダーのみじん切りがかかって辛いたれにつけて食べる。これにサモサとパニールの天ぷらにチャイを頼みシンプルランチ。インド5年目にして、初めて一人でインドランチをするなんて。なかなか、こういうところに一緒に来てくれるジャパニ・フレンドはいないからね〜。
 隣のターバンおじさんに、「美味しいか?」と聞かれたので、「ボハット・アチャー」と答えたら、大笑いされてしまった。

 もうじきKalevaには、名物のマンゴクルフィーが、売り出されるんだよね。
ああ、時期早々で、ついに幻のアイスクリームになってしまうな。食べたかったよぉ〜!

3月7日(日)

 ハッピー・ホーリー!
この挨拶ではじまった「デリーレーヌざます」なので、デリーライフもほぼ一年過ぎたと言うことになる。

 太郎は、元気に先生方と色水かけ合いをすべく、朝早くから出かけていく。街は午前中は閑散としている。往来を行きかう人が、知らない人に色水をかけられても、腹を立てるのはナンセンス。まったくの無礼講だから、色水をかけられたくない人は出かけないこと。政府のお達しで、今日は、昼12時までこの無礼講が許される。その間バスは止まり、オートリキシャにも色がついた人は乗ることができない。12時以降に色をかけると取り締まられることになる。朝からテレビで首相バジパイや、政治家たちもホーリーで赤く染まる映像が繰り返し流れている。

 しずかな日曜日なので、一日ベッドでダラリンと読書。話題の「アメリカはなぜインドに注目するのか」スティーブン・フィリップ・コーエン(明石書房)。

 夕飯は、久しぶりにKorian Club秘苑((F−25 Hausu Kasu)で、韓国焼き肉。ここのブルコギと石焼ビビンバは本当に美味しい。先月来4キロ減った体重を取り戻すべく食べまくってしまう。お腹パンパンで苦しい〜。そういえば、去年のホリーも、デリーについてすぐに焼き肉食べた気がする。我が家の大好物。

3月6日(土)

 いきなりの夏である。日本の季節に当てはめようとすると、デリーの気候はとても無理がある。花が咲き出したこの季節を春とは言わずにVasant(バサント)という。日本で言うところの春の花、夏の花が同時期に咲く。その上、葉も一緒に芽吹く。さらにホーリーを迎えるとインドの人は「春の到来だ」と言うが、花が散りはじめ、樹木は葉を落とす。花が散るのと、落葉が一緒に起こるのがデリーの春だと聞いてたまげる。

 今年もホーリーをいつにするかヒンズー暦と政府の見解が一致したのは先週のこと。当初予定は今日だったけど、結局ホーリーは明日と言うことになった。でも町では待ちきれない人々がすでに色粉に染まっているのを目にする。
インド人の友人宅では、子どもたちが年々エスカレートして、水爆弾(色粉入り色水をビニール袋に詰めたもの)を道行く人に窓から投げつけようとして準備するそうだ。余りのやんちゃぶりに去年はおまわりさんに捕まった腕白小僧たちもいたそうで、各家では「羽目をはずすとおまわりさんに捕まるぞ!」と脅しをかける両親もいるとか。
子どものみならず、大人も熱狂のホーリーである。本来はマリーゴールドなどの吉兆カラーの花を摘んで掛け合った春ホーリーでハッピーな奴の祭りがいつの間にか色水や色粉になってしまったようで、新聞では、昔のように小花を掛け合う情緒ある祭りにしようという意見もあるらしい。明日の朝は、きっと大騒ぎのインドである。運転手さんも、「午前中は休みます。町へは出ませんよ。」と言われる。明日はベルがなっても引きこもりの一日にしよう。

 お父さんはゴルフ。出張者が立て込みすぎるくらい多いので、ここ数週間の週末は、接待ゴルフ。灼熱のグリーンで、ご苦労な事である。
 太郎は、「ラスト・サムライ」を観にいく。後半は日本語が多いらしいので字幕がなくても楽しめたとのこと。午後からは、大型水鉄砲を買って、プレ・ホーリーと称して、早速友人宅の襲撃に出かけた。おいおい、やんちゃが過ぎないことを願ってますけど…。はやくも白いTシャツを赤く染めて意気揚々と帰って来た。明日はDefence方面だと言ってますので、Defenceにお住まいの方々、(とくに先生方!)十分ご注意下さいませ。

 私は、もう、荷造りは、ほとほと飽きたのだけど、航空別送品(アナカン)に入れる荷物をまとめる。まとめる事しかしないで後はゴロゴロと太郎の漫画「バカボンド@〜E」を読みながらダラダラ過ごす。基本的には、ゴロゴロするのが苦手だけど、だらだら漫画を読んで時間をつぶすのも、たまにはいいな。ホーリーが怖くて外出できないものね。

3月5日(金)

 今日は、なんとブレック・ファースト送別会である。まるでビジネスマン並みの忙しい宴会続き。ホテルの朝食をのんびり楽しみながら、共に受験戦争を戦った中3のママたちと、別れを惜しむ。皆さん、子供の高校進学を機に帰国する。
 
 東京の家の設営のために、帰国したら2週間ほど、マンスリーマンションに入るためにインターネットで予約を入れる。子供が大きくなると、日本への一時帰国でも、3日以上は実家へ帰ることはもうかなわない。年寄りの暮らしと若い者の暮らしのリズムが違い、長く一緒に暮らすと共に最後は、疲れ果て険悪な関係になるからだ。新居の設営のたった2週間であるが、東京の家の近くにマンスリーマンションを借りることにした。これで、3度目である。主人と私の実家はともに都内にあるが、「帰国したら、成田から即マンスリーマンションに入ることにしたからね。」と連絡したら、どちらもが「それは、良かったわ。助かった。もうあなたたちに来てもらうと、嬉しいけど、生活のリズムが狂うと、年寄りにはしんどくなっていたからね」と、はっきり両親たちも言う。もう、親には頼れない、今度は頼られるだけと言う年齢になったことを実感。
都内のマンスリーマンションは、何から何まで揃っていて大変便利だ。海外からの一時帰国には多いに利用するといいと思う。ホテルよりずっと快適。たいてい駅から徒歩3分くらいで、交通の便もすこぶるよい。

 学年末試験が終わった長女から電話。学寮から持ち帰る荷物の整理がつかないと大騒ぎである。「なぜだか知らないけど、2回くらいしか履いていないローファーが3足とか、2度しか着てない制服のワイシャツとか、電気ポットや鏡台はお友達に譲ってもいい?」とのこと、おや、まぁ。母子で不用品処分に泣く春である。ダンボールに5つにもなちゃったよぉ〜。と電話口で叫んでいる。娘よ!あなたの部屋は5・5畳しかないのだ。よくよく考えておくれと、電話で説教をたれる母である。帰国を心待ちにしている様子が電話の声から伝わってくる。

3月4日(木)

 先週ダウンしたので、今週は送別会や、イベントの目白押しである。
体力は使わないが、頭を使うので、ぼんやりしていた頭が急にフル回転して、感激や興奮で、ちょっと脳みそはウニ状態である。

 午前、日本人会婦人部ボランティア部主催の「インド留学生による講演会」の初回に参加する。デリー大文学部哲学科博士課程の冨沢さんの「西洋のインドイメージ史〜崇拝と嫌悪と〜」という講演である。インドにいて掃き溜めに鶴と思わせるくらい美人で聡明な冨沢さんから、はきはきと「欧米人も神秘化しているインドを愛する一方で、受け入れられない部分もある、その葛藤…」と言うような話を聞いて、私なりにものすごく納得したのであった。インド暮らしの総決算という感じで、使わない頭の中にも難しい解釈がドンドン落ちて、自分を納得させてインドを離れられる気持ちになれたことが嬉しかった。
クルクルまわるミヤビさん
 講演会場でお会いした方々に、「今日でお目にかかるのは最後ですね。お世話になりました。」とご挨拶する。「また、デリーに遊びに来るのよね?」と言われて、「はいはい、もちろん」と答えているので、明るいお別れの挨拶である。転勤の多い私は、涙・涙の別れは大嫌いである。出来れば、ケロリっと、「また日本で会おうね」と言って別れたい。

 クリシュナのお話涙と言えば、中年女の涙は禁物である。若いころはジンワリ溜まった涙の粒もハラリとほっぺに散って、風情もあろうが、中年になると、溜まった涙は、目じりのシワに沿って横へ流れ出ていく。松嶋菜々子くらいふっくらしたほっぺなら、ツーッと頬をつたう涙も可愛いが、おばさんになると、涙は目じりに沿って流れ、目じりのシワに溜まったファンデーションと混じって泥沼化する光景は、なんともいただけない。そういうわけで、ここ数年、人前では、絶対涙を見せない私である。小柳ルミ子の離婚会見をみて、心に固く決心したのだ。おばさんになったら、人前で泣いてはいけない。特にハンカチを目じりに押し当てて泣くなんて、絶対最低・最悪だわさ!デリーレーヌは泣かないざます!

 衣装を替えたミヤビさんお食事会を挟んで、夕方からは、佐藤雅子さん(みやびさん)のカタック公演に出かける。カッタックはフラメンコのルーツとも言われて、スカートを摘まんでシャンシャンと足首の鈴を鳴らしてステップを踏んだり、アジア舞踊の特徴、手指でいろいろなものを表現したり、クルクルまわってスカートを一杯に広げて踊るのでとても綺麗でロマンチック。あと10歳若ければ私も挑戦したかったインド古典舞踊である。ホーリーをテーマにしたオペレッタのような劇で、1時間の短い公演であったが、ストーリーはお馴染みのクリシュナのお話。観客のゲラゲラの笑い、ホーリーを迎える嬉しい気持ちが、舞台からも客席からも伝わってきて楽しい一夜でした。野外舞台の上には白い月。なんとも幻想的なデリーの春の宵。みやびさん、最後に素晴らしいダンスを拝見できて幸せでした。ホーリーにデリーに赴任して、ホーリーにデリーを離れる私にとっては、いい思いでになったよ。ありがとう!

3月3日(水)

 ひな祭りだけど、今年は何もしない。それどころじゃないって感じで余裕がない暮らしは寂しいね。
日本人会婦人部の地区懇談会(ハイティーの集い)があった。帰国のご挨拶も兼ねて、ちょっとしんどいけど参加して、お世話になった方々へお礼を述べる。

 日本で大騒ぎの鶏インフルエンザ。インドでも、ないわけはないよね。コックさんさえも、「今は鶏は召し上がらない方がいいですよ。INAマーケットの鶏も品数少なくて、インド人も買い控えています」とのこと。だから、我が家も冷凍庫のお肉と魚、缶詰が主体の食卓の献立。デリーのインドレストランでは、普通どうりに調理されたチキンカレーが売られていますけど。火が通れば問題はないんでしょうから。でも、お野菜中心でも結構大丈夫。ヘルシーでいいかも。飛行機の手荷物で持ち込む、食料も検査が厳しいらしい。X線で卵が写ると没収されるらしい。見つかると他の肉類も没収されちゃうとか。裏金で1万円払って通過したとか、噂は錯綜中。今日の懇談会の話題もこれでもちきり。3月の春休みを前に、食料買出しを控えて、皆さん肉類の冷凍持込で頭を痛めている。実際のところデリーの空港の検疫がどうなっているのか情報がないから、噂ばっかり。真意が知りたいけど、どこへ聞けばいいんでしょう?日本人会の掲示板にもまだ、お知らせは何も載らない。インドの鶏インフルエンザについては、仲本医務官のHPに詳しいです。
 我が家のエアコンの室外機に、またハトが巣を作る。こんな騒ぎの最中だから、撤去しなくてはならないな。気持ち悪いものね。

 2006年のドイツワールドカップ(サッカー)のアジア地区予選。9月8日の対インド戦。ぜったいデリーのネルースタジアムが会場だと思っていたら、残念。サッカーの盛んなカルカッタが会場ですね。日本のサポーターの皆さん、心してカルカッタで応援おねがいします。まだ、モンスーンが開けない時期だよね。日本チーム、過酷なインドの気象条件ですけど、がんばって欲しいです。

3月2日(火)
ミシンキルトの布バック
 「元気になった?閉じこもっていないで、お買い物にいかない?それが、あなたにとって一番のストレス解消でしょう?」
私の性格をよく知る友人からの電話で、思い切って出かけました。今日も血圧は157/105ですけど、じっとしていても下がるわけでもないしね。
 
 カーン・マーケットの中央レーンにある、The Neemrana Shop(12、Khan Market、 Middle Lane、 1st FL、 TEL:2462-0262)へ。デリーから約1時間半ほど北にある、マハラジャの宮殿を改築して造ったNeemrana Hotelが経営するデリーのアンテナショップ的なホテル・ギャラリーショップです。おしゃれなデザイナーで有名なKOTAWARAブランド(Meera & Muzaffar Ali)のお洋服、銀製品、雑貨、アーユルベータの化粧品、アクセサリーがある洗練された品揃えのお店。今日の目的は、先日見つけたカッチ刺繍のパターンを細かいミシンキルトで仕上げたオフホワイトの布のバックです。美しいでしょう?何を入れて使いますか?私なら、哺乳瓶や、小さなぬいぐるみにオムツ、小さなタオルなんか入れてマザーズバックにしたり、ベッドの縁にかけてパジャマ入れに使いたい感じです。平らに見える部分もものすごく細かいミシンステッチがほどこされているんです。お友達は細かいミシン・キルティングの玉虫色の変形バックを買いました。持ち手の所が入れ子式になっています。湯たんぽのカバーも可愛い。ブラウスや、スカーフのデザインもいかしてます。ここは、隠れた名店って感じ。見つけにくお店けど、がんばって探してね。ベッドカーバーやテーブルクロスを置いてあるANOKHI(カーン・マーケットにはANOKHIが2件あります)のそばです。
            湯たんぽカバー       ミシンキルトの玉虫色バック
 
 キッチュなクッション!インド・テキスタイル2004その後、ちょっと気分回復したので、「ついでに行ちゃおかぁ?」のいつものノリで、プラガディ・マダンで行われているインド・テキスタイル2004へ流れちゃいました。これは、クラフト・フェアー同様、海外輸出向けの繊維関連の貿易フェアーなので、インドの一般客は入れません。個人買い付けも出来ません。お店のカードをもらって後からファクトリーを訪ねたり、大量注文をしないと購入は出来ないのです。入場方法は?招待状?もちろんそんなものありません。どうしようかなと入場口を見れば、申請用紙に記入して、IDカードをもらえればいいらしい。肩書き?の欄に「インドファッション、カルチャーのライター&雑貨コーディネーター」といつものハッタリを書き込み、マダム然として受付に提出。ただの視察なら300ルピー払うのだけど、この肩書きですんなりOKがもらえてしまったわ。肩書きの証明書は、ナマステ・ムンバイのアドレス入りの名刺だけ。一緒のお友達が、「いつもの事ながら、あなたって人は、この貫禄、すごいわ!」と感心されてしまう。「おベッドリネンのブース連れは2人ですか?」なんて聞かれて、お友達もすんなりIDカードがもらえて、後は冷房のきいたパビリオンでため息の連続。デリーのどこを探してもこんな高品質なリネン類がおいてある店はない。つまりはインド国内では、内需産業としてはこうしたテキスタイルはまったく市場として育っていないのね?ぜーーーんぶ高級でハイセンス、グッドデザイン、高品質なリネン類は海外輸出用に作られているんですね。素晴らしいこと!欲しいものいっぱい。インド雑貨のバイヤー、うっふふ、ちょと夢見ちゃいます。
おうちに帰宅して、血圧ちょっと下がったかなと思ったけど、まだダメだ。明日はまた、静かにしてなくちゃいけないみたい。


3月1日(月) 

ついに、最終回となってしまいました。今の気分は、そう、このサイトの壁紙みたいな色です。

 あっぱれ!パンこね名人ムスタファさんパンこね機(ニーダー)の調子が悪い。見かねてコックのムスタファさんが、「私にやらせてください!」と名乗りを上げる。どうしてもパン作りを、やりたかったらしいのだ。以前、じーっとニーダーをにらんでいたのは、これが欲しかったのではなく、自分でこねたい、自分の仕事を電気こね機に取られたと言う気分だったらしい。大理石に打ち粉をして、こね機から生地を出し、ものすごく上手にこねあげちゃうんで、びっくり。さすがムガール帝国料理も出来るコックさんである。きっとナンもこんな感じでこねるんでしょうね。食パン用、あみパン用、アンパン用と一気に3種類もこねあげてしまっても、平然としている。男性だから体力も力もあるので生地はあっという間にこねあがちゃうのよ。なーんだ、電気よりも人力の方がズーッと簡単で楽だし、上手だよ。どーして今までムスタファさんにこねてもらおうと思わなかったのかしら?そういうわけで、インドご赴任をお考えで、パン焼き機をお持ちになろうか迷っているらしゃるかた。インド人はパンをこねるのはとっても上手です。停電があるので、電気なんかに頼っていてはいけません。でも、一応、パンを手ごねで焼く過程くらいのことは覚えてくるといいかもしれないけど。もちろん、デリーの日本人の奥様の中にはパン作り名人もたくさんいるので、こちらで習うことだって可能だけどね。明日もやらせてくれと言われてしまう。もしかしたら、うどんも打てるかも?あらら、きっとお父さんのそば打ちなんかみたら、俄然ファイトを燃やすかも。私がいなくなったら二人でそば打ちに燃えてね!
 こね上げてから、ムスタファさんは、明日ははモスリムの祭日だとかで、休暇をとって、モスクへ行った。すみませんね、お休みの日に重労働してもらちゃって。

 受験が決まってから、帰国までの荷造り、細々したものの処分をしながら、自分なりに気持ちの整理をつけてきたつもりでしたが、メトロノームの振り子のように、大きく気持ちは、右へ左へ揺さぶられて、体調も崩し、先週は最悪の気分に落ち込んでしまいました。
「そんなに、インドが好きなのね?帰りたくないんだね。」と周りの人に言われましたが、それとはちょっと違います。
私たちがインド赴任をお父さんから告げられた時、家族は一緒、お父さんが暮らすところなら、みんなで助け合ってどんなところへでも行って一緒に暮らそうと思ってインドにやって来ました。インドに暮らす以上、ここでの暮らしがたとえ困難で、不自由であっても、家族一緒なら何とか切り抜けられる、そのためには、私はここの暮らし、ささやかな小さな生活を、一日一日、いとおしみながら大事に暮らしたいと持ってきました。だって結婚した時には、誰もが思うでしょう?一生、この人と喜びも悲しみも、困難もともにして暮らしていきたいと。大変なこともあったけど、それこそ家族が、お父さんが一緒だったからこそやってこれたことは言うまでもありません。

 私の気持ちの揺れは、進路を見定めて独り歩きを始めようとしている子供たちが、自分の手から離れていく寂しさ。いずれは子供は巣立っていくことは、頭の中でわかっていましたけど、いざ、そうなってくると、母親としての役割がもうわずかなものになっていくことへの言い知れない寂しさです。そして、一人インドに残ることになった主人のこと。40代にしては珍しく家事万端をこなし、シャツや、パンツにいたるまで自分で身の回りのことが一人で出来る、料理も出来る家庭人として自立している主人です。十分主夫としても自立しているので、単身赴任も出来なくはありません。優秀なコックや、気の利くハウスキーパーもいます。だからといって、心配なことがないといえば、それは夫婦だもの、これも寂しいといったらありゃしない。

 「子供の受験も終り、自分の生まれた日本に帰るのに?これ以上何の不安があるのよ?」とも言われました。
でも、家族が一緒というのが一番大事な暮らしの原点だと思っている私にとっては、たとえ数年であっても、お父さんの単身赴任は辛いと言うのが本音です。「だって、亭主元気で、留守がいいって言うじゃない?子供とだけの暮らしならお料理だって手が抜けるしさ?」とも言われました。
 え、えっー?本当にそんなこと本気で思っている人がいるのかしら?と私は思います。たとえ自分が生まれ育った日本に帰国したとしても、家族が揃っていてこその平凡ながらも幸せな暮らしです。たとえば、「前の旅行で買った萩焼のお茶碗、ついに割れちゃったわ。気に入っていたのにね」とか、「お向かいの金木犀すごくいいにおいよ」とか、そんな些細な日々の暮らしのことを話して、「うん、そうだね。」と、相槌を打つ人がいない。「すごいルーズソックスだったけど、年寄りに電車で席を譲っている子がいてさ。」とか、「この映画の評読んでご覧よ。絶対、お母さんの好みだよ」なんていうささいな夫婦の会話も当分なくなるなと思うと、ものすごーく寂しいです。だから、一人先に日本へ帰ることなんか、ちっとも嬉しくないんです。

 世の中には、ご家庭のご事情で単身赴任したり、早いうちから子供を手放すご家庭もあるでしょう。実際、高校の1・2年生と長女を東京に一人帰国させたことも、彼女の成長のためとは思ってはいても、切ない思いもたくさんありました。遠足のときは、私の変わりに仲良しのお友達のお母様がお弁当を作ってきてくださった事もあったし、文化祭の様子をビデオに録画して送ってくださったり…。でも、娘はお母さんの弁当じゃないこと、文化祭を観にきてもらえなかったことを、口に出さなくても寂しそうにしていました。帯状発疹やインフルエンザで辛そうなとき。そんな、ときは、もう東京に飛んでかえりたい衝動が何度あったことでしょう。「帯状発疹はストレスからなる病気らしいわよ。お母さんの気持ちがお嬢さんに向いていないから、お嬢さんのSOSなんじゃないの?」というような手厳しいメールをもらって、さらに落ち込んだこともありました。
 今度は日本で、デリーのお父さんに気持ちを馳せて、日本では思春期の子供の成長を見守り、一人大きく振り子を揺らしながら暮らすことになると思うだけで、気分は落ち込みます。“不惑の40”なんて、私にはとても無理。
 だから、家族が離れて暮らすことの、気持ちの整理はそう、簡単につかない。身体もこういうことにはとても敏感みたいです。すっかり体調を崩しました。なんて、情けないんでしょう。でも「そうやって揺れないほうがおかしいわ。平然と帰国したら、あなた、変よ。あたりまえなのよ」と、数年前に同じような経験をしたお友達は言ってくれました。特別いいお母さんでも、いい妻でもない、ゴク普通の私です。そうですよね、こうした心の揺れはあたりまえのことなのねと、言い聞かせている今日この頃です。