ジャパニーズビジネスマンのインド日記




世界をかけるジャパニーズビジネスマン。
しかし、インドは手ごわい。
ノープローブレムは大問題だ。
インドで闘うジャパニー・ワーラーのインドビジネス最前線

インド人の不思議その1  (インド人のYES)


 インドの人が“OK
の意味で、首を横に振るっていうのは本で読んだり、人からきいていたけど、本当にその通りだった。感激。首を振るといっても日本人が”Noの時に横に左右に振る動きではなくて、なんて言うか首の運動の時に頭をまっすぐから左右に倒す時のあの動きで、左なら左、右なら右に素早く何回か首を倒す、そんな動きです。(小首をかしげる感じ。)

 これがなかなか可愛いくていい。昔薬局の店頭にあったケロヨンとか不二家のペコチャンの頭の部分を小突くとぴろぴろと頭が揺れる、そんな感じ。やっぱり小さいことからずっとそうやってきて、首がやわらかくなっているのか、それとも毎朝首の運動を一生懸命やってるのかって思ってしまう。思わずまねしそう。門番などの、いかつい大男までが、こんなしぐさをするので思わず噴出しそうになる事もしばしば。



   インド人の不思議その2   ―インド人の自己中心主義・自己主張

 インド人の自己中心主義と自己主張はすごい。いい意味でも悪い意味でも、とにかく「自分が最初」の自己中心主義で、その自己主張たるや素晴らしい。全体の利益、チームプレイなんかはもう後の後で、まず自分が他人と比べて同等に扱われているか?人と比べて自分はどこかで不当に扱われてないか?どこか他人に比べて不利になっていないか?まっさきにこの点が気になるのだ。もしも、そんなとこがあろうものなら、もう大変な事になる。英語はほとんどNative Languageでぺらぺらだから、それはそれは自分がしてきたことに始まっていかに一生懸命やっているかをとうとうと話し、こんなにがんばっているのにどうして他の人ばかり評価されるのか?とくる。時に失敗例を引き合いにだすと、さらに大変な事になる。自分の非はなかな認めようとせず、自分がやるべき事は全て完璧にやった。他の人間がちゃんとやってなかった、状況がたまたま良くなかった、運が悪かった、そもそも計画自体が悪かった、等々あらゆる原因をずらずらと並べての大弁解大会にまいってしまう。(インド人ってみんなB型、それももっとも濃いB型なんじゃないかと思います

 この間、飛行機にのって国内の出張に行ったときの出来事。ちょうど食事時でスチュワーデスが食事を配っていた。インドの国内では食事はヴェジタリアンの“ヴェジ”とノンヴェジタリアンの“ノンヴェジ”の2種類があって、機内には、ヴェジタリアンの方が、多く用意されていてノンヴェジすくないのではないかと思うが、ちょうど私の隣の客のところでノンヴェジがなくなったのだろう、スチュワーデスが“ノンヴェジがなくなったので申し訳ないがヴェジでいいか?”と聞いたところこの客が“私にはなぜ選択があたえられないのか?他のお客がどっちか選べるどうして私だけが選べないのか?同じお金を払ってこの飛行機に乗っているのだからみんな同じ権利があるはず。私だけが選択の余地がないのは、Unfairだ。”と文句をいっていた。日本人なら“まあしょうがないか”で終わってしまうだろうこの場面に、“Unfairとの返事には最初は全く驚いたが、その後考えるとなるほどと感心してしまった。結局この客にはどこからかスチュウワーデスが”ノンヴェジ“を持ってきていた。(この“Unfair”という言葉はいろんな場面でよく聞く言葉です。)

 政治もインド人の自己中心主義がよく出ている典型だと思う。とにかくいろいろな人がいていろんな事をいってる。ほとんどまとまりナシ。多数派であろうと少数派であろうと関係ない。ヒンズー教、イスラム教、キリスト教、ジャイナ教、パーシーなどの宗教の違い、カーストの違い、人種の違い、言葉の違い、この違いが10億の分母で出てくるわけだから、ほんとに多様性では片付けられないほどバラバラで、良く一つの国としてまとまってると感心してしまう。

 そもそもこの自己主張はどこからきているのか?“宇宙の根本原理であるブラフマンは自己のアートマンと同一である”というインド哲学の教えに始まったのだろうか?それぞれが宇宙であって、全ての中心だとしんじているならこの自己主張もうなずける。

 多様性のなかで生きていくには他人の事を考える前に自分の事を考え、自己主張をしていかないとどんどん隅に追いやられ捨て去られてしまうのか?とにかく日本人とは全く対照的なこの性格には面食らうが、日本人も見習う点があるんじゃないかと思う。自己中心の点はさておいて、今後日本人もインド人並に自分主張をすべきじゃないかと思う。     



インド人の不思議その3     − 分業 −

 ここインドは10億人の人が生活している。一言に10億人といってもピンとこないけど、世界の人口が60億人とすると、6人人間が集まれば1人はインド人という事になりこれはほんとに驚きだ。この10億人が飢え死にすること無く、一応生きて生活してるんだから全く脅威である。(ちなみに当地では餓死という事はあまり聞かない。極度に貧しくても生き長らえるくらいは食べることはできるようで、この事を考えると本当は豊かと言うべきなのかもしれない。)

このたくさんの人が飢えることなく生きていく為の一つの方法が仕事の分配、すなわち分業にあるのではと思う。

 この国ではあらゆる仕事が細かく分かれていて、各人はその分担された仕事をすればいいのであってその仕事以外は絶対にしない。むしろしてはいけないのだ。効率は二の次で、自分の仕事をしていればそれでOKなのである。

 例えば事務所。普通の事務をする人以外に、書類を運んだり、お茶を入れたり雑用をするピヨンという人間がいる(秘書は別にいるが、この手の仕事は絶対しない。)。コピー取りはコピー専門、ファクス係はファックスだけ。

 事務員は決して自分で書類を運んだり、コピーを取ったり、ファックスを送ったりは絶対しない。自分の席で叫ぶだけ。すぐにピヨンが飛んでくる。日本人は小さいころのしつけで“なんでも自分でしなさい”と言われている為、なんでもすぐ自分でする癖がついていて、つい自分でゴミ箱のゴミを捨てようとしたり、コピーを取ろうとするけど、そうすると大変、すぐにピヨン、コピー係が飛んできて、“Yes,sir.”全く社長の気分である。インドの会社のえらいさんになると自分の係りとして、秘書以外に、ピヨン、運転手、掃除人、お茶汲み、等等たくさんの人がかしずいている。

 家の中もそう。料理をつくる使用人は一番格が上。料理は作っても給仕はしない。皿洗いもしない。これは別の使用人がする。洗濯は洗濯人(洗濯は洗濯専門のカーストがいてこのカーストに生まれると一家みな洗濯人になる)。掃除はまた別の使用人で位は一番下、というように仕事毎にわかれていて使用人がどっさりいる。我が家でも調理人と掃除人は別で、調理人は絶対掃除はしない。この間、初めて気がついたのが、運転手は自分の車の掃除をしないという事。駐車場に何人か車専門の掃除人がいて毎朝この掃除人が月100ルピーぐらいで掃除しているのである。その他窓拭き専門のウィンドウマンなんてのもいる。(ここではこのての何とかマンてのがいっぱいいる。牛乳配達はミルクマン、卵配達はエッグマン、果物配達はフルーツマン、クーラークーラー修理はACマン、何でも屋はウルトラマン?等々)

 こうやって細かな分業をする事によってより多くの仕事が確保されるが、一方では能率の悪さを生んでいる。ひとつのことを頼んでも実際に手を動かす人間に至るまで多くの関係者が存在し、この為信じられないぐらいの時間がかかるし、時間がかかるのは仕方ないとしても、途中で指示が違ったり、忘れ去られたりしてしまうのである。だから急いでいるときは、最後に誰がやるのか突き詰めた上でその人間に直接指示しないと全く意味がない。いくら吼えても効果はほとんど無いといっていい。

インドでは自分でなんでもしてしまう事はいけない、なんでも人に頼む方のがいいのかもしれない



インドと日本      今回は趣向を変えて少し硬い話題。

実は、私は所謂世で言うところの商社マンであるが、インドに来て何をしているのか? なんでわざわざ家族まで連れて来てボンベイで生活をしながら一体何の仕事をどうしているのか?世界を股にかける商社マンは、インドではスーツ姿にアタッシュケースでターバンをかぶり、カレーを食べながらゾウにのって時々リゲインを飲んで、早口英語の達人インド人のマハラジャを相手に日本の電卓を売っているなんてイメージしている人もいるのではないかと、心配してますが、まさかそんな人はいないでしょう。(?)

商社マンの仕事と言えばまず頭に浮かぶのは勿論、貿易です。一体日本とインドはどんな物を貿易しているのか?ちょっと考えてみてください。まずインドへの輸出は容易にイメージできると思いますが、やはり開発途上国向けに日本が輸出する物と言えばなんと言っても機械が一番。私も実はインド向けに日本の機械を売っています。輸出総額のほとんどが機械、機械部品、電機、電機部品等です。以前にも書いた事があると思いますが、ここインドでは一応なんでもインド製品っていうのがあってこれが安かろう、悪かろうで、価格はめちゃくちゃ安いけれど、デザインがださくて、且つ質も悪い。このインド品と競争して輸入品を買ってもらう訳だからやっぱり大変な苦労をします。

さて問題はインドからの輸入です。一体、日本は、インドから何を輸入しているのでしょうか?ちょっと考えてみてください。ボンベイ日本人学校の授業のヒトコマのようですが、なかなか想像できないでしょう。“インド綿って言うくらいだから繊維関係?それともエビかな?”ウーンなかなかいいとこついています。繊維関連の輸入は確かにインド綿の輸入に始まってかなり歴史のある商品で今も主要輸出品の一つですが、一番ではありません。エビも最近増えてきていますがやはり一番ではありません。 なんと“ダイヤモンド”なんですねーこれが。ちょっと“えっ何ダイヤモンド?”って感じでしょう?

実を言うと世界のダイヤモンドの7割近がインドで加工されているのです。原石はその昔に掘り尽くされており、大半が輸入で、それも小粒の低質のものが多いんだそうです。この小粒のダイヤの原石を安く砕ぎ、整形し、削り、研磨して58面体を作り出す。いかにも人件費の安いインドらしい産業です。このボンベイがダイヤモンドの取引の中心で、街中には宝石屋が両側にびっしりと軒をならべている地区もあります。(実は当地駐在員の奥様がたはお金をためてはせっせと宝石を買うのが楽しみの一つになってます)

日本とはあまり関係がないのですが、この安い人件費を売り物にもう一つ今のインドでの輸出が大幅にのびているものがあります。ソフトウェアーです。実はアメリカで作られているソフトウェアーの大半がインドでつくられています。安い人件費と、時差(アメリカと昼夜が逆転している)を利用してどんどんアメリカからインドへ下請けに出されています。インド人は英語に問題がないのと、やはりもともとゼロを発見した人種ですから、優れた頭脳を持っているのでソフトウェアーの製作には全く問題がないのがこの伸びになっているのです



インド人の不思議その4  − インドは大国 −

インドをあらわすキーワードはそれこそ腐るほどあるが、その一つに「インドは大国」という事がある。日本の約9倍の国土に、約10億人が住み、5千年の歴史の中でいまだに西欧文明を拒否し、独自の文化を営々と保っているインドはやはり世界の大国と言えるでしょう。インドは、途上国と思っている私たちがびっくりする事には、どうもインド人自身も自分の国は世界の大国と思っており、インドは世界で一番すばらしい国、インド人は世界一すばらしい人種と思っている事です。

日本人は常に世界の人達から自分達がどうみられているかを気にしていて、日本及び日本人を評した本が常に書店をにぎわしていますが、インド人は自分達が世界の人からどう思われているかなんてほんの針の穴ほども気にしない、常に自分達のやっていることが一番と思っているふしがある。この辺は日本人の感覚からすると全く理解できないところでもある。


現在のボンベイ総領事の角来弓月が書いた“インド現代史”(中公新書)のなかに面白い一説があり、再び生まれ変わるとしたらインド人として生まれたいか?との質問に対して、何と88%の人がYESと回答しているという。(NOは5%)

さらに、先日のThe Times of Indiaに面白い新聞記事があった。世界22カ国を対象にした“1999年生活満足度/幸福度チェック”の結果、アメリカの46%についで、37%の人が現在の生活に非常に満足している、幸福だと答えてイギリス、フランス等のヨーロッパ勢を押さえて、何と堂々銀メダルに輝いたとの事。(因みに世界平均は24%で、中国が9%、ロシアが3%、日本は記事に出てなかった) 質問は、現在持っているもの、例えばお金、物、仕事、自信、友達、時間等に就き夫々各人が十分満たされているかを質問した結果を総合したものだが、面白いのはその中で“自分で持っている自信”の項目で、インド人は自分が十分に自信を持っていると思っている人が42%でこの数字は世界一というところ。アメリカが41%で第二位。あの世界の指導者、世界のリーダーを自負しているアメリカ人以上に自分に自信を持っている点である。この記事の分析では、持っている物とお金の量で、幸福感が違ってくるのではない、むしろ物とお金の絶対所有量の少ないインドでは、ほんの少し所得が増えて物がふえる、お金が増えることで感じる幸福感が格段に違う、さらに物とお金以外のものに幸福感を見出す傾向が強く出て、その結果がこの差になっているという事だと言っている。全く考えさせられる事実である。

ついでに、この間インド人のお客さんと話してて、邦人インド駐在員には会社が費用を負担して年に数週間静養の為の休暇制度があったり、買出し休暇がある等いろんなハードシップ手当てがあると説明したら信じられないという顔をして“インド駐在のどこがハードシップ何だ?”って言っていた。非常に興味深い。印象に残る



インド人と日本人

インド関係の本を読んでいると、時々インド人は親日的だという説明があり、よく例として、第二次大戦後の戦犯裁判で、インド人の判事だけが日本に見方をして、有罪判決に反対したという話が引用されているが、これは実は“戦勝国が一方的に敗戦国を裁判で裁く事はおかしい”と正論を主張しただけで、決して日本に見方しての話ではないというのが真相のようだ。

本当にインド人は親日的なのだろうか?確かに反日的な感情はないといえるが、かといって特に親日的とも言えないと思う。前にも述べたようにインド人は自分の国が世界で最もすばらしい国だと思っており、外国はもう全く別の世界としてしか考えていないし、外国人は全く別世界の人との認識のようです

例えば、学校の授業では日本の事は全くといっていいほど何も教えられないとの事。インド人が日本に対して持っているイメージは、やはり経済大国で、電気製品、車に代表されるすばらしい製品を作る国というのが一般的なイメージで、あまり日本人がどうこうという具体的なイメージはない。いまだに、侍だとか、忍者とか、腹きりだとか、いまだにそんなイメージが一般的のようです

それでもどうも日本は人気の高い国で、アメリカを押さえて、好きな国、いってみたい国の一番に上げられている。どうしてなのか全く不思議である。

同質性、協調性の日本人と、多様性、自己主張、自分本意のインド人とは全く対極に有ると思うが、全く違うから興味があるのだろうか、本当に不思議だ。

このインド人が初めて日本に行くとどんな印象を持つか?一番に驚くことは人々があまりに規則正しく、一様に行動していて、全てがシステマティックになっている点のようだ。(この点は最近出た本で、インド人が始めて日本を訪問ししばらく日本で暮らした思い出を綴った”喪失の国日本−M.K.シャルマ著/山田和訳、文藝春秋”を観るとよくわかっておもしろい。この本はお薦め)これはやはりインド人にとってみると非常な驚異に映るらしい。言われてみるとなるほどそうかと思う。だから逆に我々日本人はインドで暮らして、あまりの秩序の無さに、ため息が出てしまうのだ。



インド人の不思議その5

早いものでインドで生活するようになって既に2年近くなった。今回はこの2年の間に感じたインド人の不思議を思いつくままに書こうとおもう。

1インド人は数字に強い。

さすがに零を発見した人達で、数字にはやたら強いのがインド人だ。噂によるとインド人の九九はどうも2桁掛ける2桁の九九(19×19など)も覚えるらしい。だから計算がすごく速い。買い物してもおつりの計算機なんか全く不要。合計も暗算でパッパッパで、おつりも直ぐ出てきて間違い無し。取引先のお客と話している時に“その件は誰某と話をしなさい。電話番号はこれこれだ。もし彼がいない場合は誰某と話すると良い。電話番号はこれこれだ。”といって次ぎから次ぎへと7桁の電話番号がポンポン出てくる。この人達の頭には計算機がはいっているのかと思ってしまうほどである。インドが隠れたIT大国となっているのもこういう理由があるからなのだ。

2インド人は遠慮がない

インド人は自分がして欲しい事を人に頼むのに遠慮がない。してくれるかどうか、頼まれた人がどう思うかは別で、最初にとにかく頼んでみるのがインド人のやり方のようだ。皆がそうだからだろうか頼まれたほうも別段いやがる様子もなく自然に答えているのは不思議だ。できなければそれはそれで断るし、断られても特に問題ないのだ。日本人は普通頼む前に色々と考えてできない事は頼まないし、一旦頼まれたらそのままストレートに断るのはなかなかできない。ここのところの感覚が全く違う。皆が揃って自己主張が強いので、遠慮していては結局損をするばっかりになるのかのしれない。

飛行機にのっているとよくわかる。そこら中でスチュワーデスの呼び出しボタンがなり、どんなタイミングでも夫々新聞くれとか水をくれとかやっている。荷物をとってくれなんていうのはざらだし、人の席の前のポケットに入っている新聞を隣の人がいきなり取っていったり、隣の隣の人がその新聞を取ってくれというのもよくある。

3インド人は本を読まない?

飛行機、列車に乗ると大体新聞が席に配られる。この新聞をインド人はよく読む。ほとんど全員が読む。それもかなりじっくりと読む。ところが新聞を読み終わった後は何もしない。日本であれば恐らくかなりの人が本を読むだろう。週刊誌、文庫本、ハードカバーいずれにしてもなにか読むのが普通機中、車中の時間の過ごし方だと思う。ところがである。インドでは本を読んでいる人にほとんどお目にかからない。皆ボケっとしている。待っている時間もそうだ。読むのは新聞だけ。インド人は本を読まないのだろうか?雑誌があまりないし、本を読むという習慣がないのかもしれない。その代わり考える時間はたっぷりあるのだろう。インド哲学が発達したのは、この関係かもしれない

4.インド人は英語がうまい。

これはいうまでもないが、インド人は英語がうまい。(書くのも、読むのも、話すのも)だけど、その得意なイントネーションから英語が英語に聞こえない。2年もたつともうかなりインド英語になれているのでどんな人の話でもほとんどわかるが、日本から出張にきて早口で典型的なインド英語のイントネーションの話をきくと、“これは恐らく解らないだろうな?”と思っているとやはり全く解ってない。“英語を話しているとは思わなかった。”といっている人もいたぐらい。このイントネーションはどこかで聞いたことがあると思っていたが、この間ふと思い出した。“そうだこのイントネーションは日本のズーズー弁だ。”(因みに私は栃木に小学生の時住んでいてこてこてのズーズー弁だった)そうだ、インド英語はあのしり上がりのズーズー弁英語なんだ。
話す英語だけでなく、書く英語もすごい。何がすごいかって、辞書にも載ってないような単語がたくさん出て来る。よくそんな単語しっているな?ってぐらいの単語を使う。例えば“Times of India”のトップ記事を読んでいると、格調高く書かれているのだろう、知らない単語が10語以上出て来て、そのたびに辞書を引くのだが、時々辞書にも出ていない単語や、ほとんど死語となっているような単語が出て来て、一つの記事を理解するのに何10分もかかることがよくある。インド人は本当に全部理解しているのだろうか?今度聞いてみよう

以上思いついたままにインド人の不思議を書いてみたがやはりインド人は奥が深いと思っている今日このごろです



インドの乞食

インドを訪れる人が誰でも必ず目にするものの一つに乞食があげられる。いたるところに乞食がいてそれが普通の光景になっている。交差点で車が止まる時、繁華街を歩いている時、映画館の前、駅、マーケット、必ず乞食がよってきて物乞いをする。それもかなりしつこい。なかなかあきらめない。

初めの内ははなんとも居心地が悪くなり、なんとか目を合わせずに、早く行って欲しいとひたすら祈って無視して過ごしていたが、だんだんと、慣れとは恐ろしいもので、こっちも余裕でじっくり観察して、この乞食はなかなか美形だとか、なかなかいい顔をしているとか、この子はどういう暮らしをしていて、将来はどうなるんだろう、とか思いを馳せたりする。

良く見てみると、本当にありとあらゆる種類の乞食がいる。子供から大人、女、男、オカマ、おばあさん、おじいさん、兄弟、姉妹、子供連れ、あかんぼを抱いた女、片腕の無い人、両腕の無い人、片足のない人、両足に無い人、皮膚病の人、象足病の人、何ともやりきれなくなってくる。

 この乞食については、彼等はプロの乞食でかなりの収入があるんだとか、わざと手、足を切ってしまうのだとか、本当は何とも無いのに、歩けない振りをしているとか、いろんな話しを聞いていたが、この間この乞食についての面白い記事が

Times Of Indiaに載っていた。それによると、ボンベイには約1万人の乞食がいるとの事。そして驚いた事に乞食は法律で禁止されているそうだ。捕まると、乞食専用の厚生施設があってそこに入れられるんだそうだ。

そしてやはり噂は正しかったのだ。赤ん坊を抱いた乞食の赤ん坊はスラムに行って一日

50ルピー払って借りてくるんだって!借りてきた赤ん坊がうるさくしない様になんと阿片を飲ませるとの事。そうやって一日働いて500ルピー以上稼ぐらしい。一日500ルピーという事は、赤ん坊借り賃を払っても450ルピーで、例えば一ヶ月休みなしで働いたとしたら、13,500ルピーでこれは会社で働いている事務員と同じぐらいで、かなりの高給取り。結構な稼ぎだ。

この記事ではハッキリ書かれていなかったが、どうもこの乞食にも元締めがいて稼いだ金の何割かを上納しているらしい。元締めにふんだくられ、警察に追っかけられる、乞食の世界もなかなか難しいらしい。  (2001年7月14日)