ぼくのみたインド

      

〜中学生編〜


2001年4月、ぼくはボンベイ日本人学校中学部に入学。
サッカー部もない小さな学校。
なにしろ、いま、ぼくは一人ぼっちの中学2年生だ。
サッカーは、相変わらず思うようにはできない。
日本に帰りてぇ〜って、年中思うけど、
しかたないから、ボンベイに住んでるわけさぁ。


 よっしゃ〜、クリケットの話 


信号で車が止まった。ふと窓の外に目をやる。するとやせ細った少年が道の脇で手に棒きれを持ち、ボールを打っている。しばらくみていてようやくそれが、クリケットだという事がわかった。車が通るすぐ横の路上で、工事中の広場の中で、空き地で、駐車場で・・・・。
 
インドにいれば、誰でもが目にする光景だ。テレビでもよく見かける。クリケットの中継は多い。それほどクリケットはインドの人たちに人気がある。そんな人気のあるクリケットなのに、ぼくたちはバスケットやサッカーばかりでクリケットは全然やらなかった。

 ある日、ことしのインド研究会の説明会があった時、
「クラブ活動かぁ、なんかスポーツ系のクラブが出来ないかなぁ。」
と説明を聞いていたら、中嶋先生が、クリケット研究を提案してくれた。その時、ぼくは、
「これだ!」
と思い、そんクラブを第一志望にした。日頃から気になっていたクリケットができる!やっと自分にあったクラブが見つかった嬉しさでぼくの心は、浮き立った。

 そして、ぼくはクリケットクラブに入部すると、俄然、マイバットが欲しくなった。
父に頼んだが、いつものように、すぐには買ってくれない厳しい父は、
「日本に帰る時にしろ!」と、わけのわからない理由で却下された。
(日本に帰ってからじゃ、出来ないじゃないか・・・・?)

しかし、ぼくは欲しくてたまらなかった。
 そんなある日、父が突然クリケットバットを持って帰ってきた。
「やったぁ。」
実は、ゴルフコンペの景品だったのだが、ぼくには、そんな事はどうでもいい、ピカピカの宝の刀のように見えた。いっぺんにクリケットが身近なものになった。小さいころからの習慣どおり、欲しくてたまらないものが手に入った時、いつもぼくがするように、今回もしばらくベッドに入れて、一緒に寝た。

 クラブ第1日目、実際クリケットをやってみると、思ったよりもずっと難しかった。
ボールのコントロール、バットの振り方、素手でとるボール何もかも、僕たちには、初めてだ。野球やサッカーは馴染みがある。しかしクリケットは違った。

 クリケットというのは、イギリスではじまったので、かつて、イギリスが支配した国で盛んに行なわれている。インド、パキスタン、スリランカ、オーストラリア、ジンバブエ、南アフリカなどである。インドでワールドカップと言ったら、サッカーじゃなくてクリケットだ。

野球のようだが、実は全然違う。まず、ピッチャーは、肘を曲げて投げてはいけない。バッターは、3本立つポール(ウィケット)の前に立つ。そして、バッターはピーチャーから、ウィケットを守らなければならない。もし、ピッチャーが、後ろのウィケットにボールを当てるとアウトだ。点はホームランで6点、球場のはしまで飛ぶと4点である。

 驚くのは、ファールがなくて、360度どこにボールをうち返してもいいこと、アウトになるまでずっと打ってもいいことだ。テレビや街中で見かけると、とても簡単そうに見えるのに、大変難しいスポーツだという事がわかった。その上、勝負がつくまで、丸1日〜2日以上もかかる。

僕のこれからの目標はこれらのルールを覚え、やり方をマスターし、インドの子供たちと試合する事だ。ボンベイ日本人学校では、いろいろな学校と交流する機会が多くある。
 なのに、僕は今までインド人の友達は一人もいない。そこでクリケットで一緒に汗をかいて、友人になりたいと思う。友達が出来た時、クリケットは言葉をこえた共通語になると思う。

僕は、ボールを手にし、ウィッケトをじっと見つめた。
「今度こそ、当ててやる・・・・」
助走でスピードを付け思いっきり投げた。次ぎの瞬間、ボールがウィケットに当たり、ウィケットが倒れた。
「よっしゃ〜」
僕は、交流の第1歩を踏み出した。(2001年6月18日)



まぁ、そういうわけで、ボチボチ気が向いたときだけ更新するつもり・・・・。


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