インド文化講座

 インド先住民 Warliを訪ねて 

 2000年1月30日、ボンベイ市街より Gujarat Road (国道8号線)で北へ100キロ、Maharashtra州 Thana(タナ)地区にあるWada(ワダ)というワールリーの村を訪ねました。
 ワールリーという部族は、オリッサ、バンガロールなどインド各地に住むインド先住民とでもいうような部族で、南インドのドラビダ系民族にも北インドのアーリア系民族とも違い独自の土着の宗教習慣を持っています。もともとはネイティブ・アメリカンの様に狩猟採集民族で農耕文化を持っていませんでした。原始的な儀式や習慣は、素朴なワールリー画の中に見ることが出来ます。
私たちが訪ねたワダ村には現在35家族が、彼らの伝統を守りながら共同体として今なお簡素な生活を送っています。
ワールリー画は、結婚式の時に新婚カップルの部屋の壁画としてに
家族繁栄の様子が描かれる事が多い。
 ワダ村のワールリー画は、部族の家々の中壁に米の粉を水に溶き爪楊枝のような細くとがった木の枝で描かれます。これらの絵の中でも結婚式の様子を描いたワールリー画は完成度がたかく、結婚の儀式には欠かせないものでした。私たちが観た村の中央の集会所の壁には、本来はあまり使われていない赤、黄、緑の絵の具で彩色された結婚式の様子が描かれていました。絵の中央には新郎新婦、それを囲む様に家、楽隊、収穫の様子、踊る村人などなど。
 向い側の家には、サリーをロープに巻いたハンモックで寝る赤ん坊がいましたが、この様子もワールリーの絵の中に見ることが出来ます。この家の裏庭は、収穫時に村中の人たちが収穫した米を脱穀したり、近くの竹林から採取した竹を干すのにつかわれていました。身近な自然や簡素な彼らの生活そのものが、単色の色使いと単純な表現で描かれているのがワールリー画の魅力といえましょう。 村長の家の結婚式のワールリー画は、今はなくなった土壁の色に似せて(村長の家は、すでにペンキが内装されていたため)絵の部分だけ黒ペンキで塗りその上にアクリル絵の具をつかって描かれていました。
各家の床は、全て牛糞を塗り固めたもので扇が重なるような波形を描いています。牛糞には防虫効果があるためこのようなつかわれ方をしています。壁にも牛糞が塗られています。
     
家の入り口にもワールリー画が描かれている
現金収入の為にキャンバスにワールリー画を描く。
文字を持たなかったワールリー族だったが、右下には、
マラティー語で小さくサインがしてある。
現金収入のために作られるようになったキャンバスに描かれたワールリー画の作品には、下地を茶色く塗り波状の模様をつけているのは、この牛糞を塗った時の模様を意味しています。また、当日私がが買い求めたワールリー画の下地の茶色は近くで採れるレンガの土で、緑色は草木染めの手法で染めたものです。絵はアクリル絵の具の白色1色使いでした。タナ地方は、レンガの生産地でもあり村までの国道沿いには土をこね成形し日に干し、積み上げて、藁をのせて、レンガを焼く風景が観られました。このレンガの土と同じものをつかうそうです。
 村人が、わたしたちを歓迎して見せてくれた踊りは、ウォーリーや、ホーリーの祭りのときに、後ろ手に手をつなぎ輪になって踊る踊りで、村長さんが吹いてくれたラッパのような楽器は、Tarpa(タルパ)と呼ばれていています。瓢箪(ヒョウタン)のように中が空洞の実に、椰子の木を薄く切ったものを巻きこんで、作っています。(思いがけず、壊れたので、その仕組みが良くわかりました。)ワールーリー画に描かれている特徴あるダンスの様子を実際見ることが出来て、良かったです。
ガネーシャの祭りにはドラムをつかい手拍子の踊りを踊るということで手拍子入りの踊りも、見せてくれました。

 もともとは、原始宗教を信仰し、様々な未開な儀式を有したワールリー族は、Speciality tribe(先住民族)として、いまでは州政府の援助と指導のもと、田畑を耕し、家畜を飼い、教育を受けるようになりました。ほとんどの村民が、改宗して多くはヒンディー教徒になっています。

私たちの見学した家には、米を貯蔵するサイロが、バナナの葉で囲われていました。米を備蓄することは彼らは今までしていませんでしたのでこれも新しい生活習慣です。もともとジャングルに住んでいた彼らが、むやみに木を切らずに煮炊きが出来る様にと牛糞を使った燃料の作り方も学び、村のあちこちに、牛糞を集めてかごに盛ってありました。
この牛糞は、床、燃料だけ出なく、畑の堆肥としても利用され、これらの農業指導は州政府派遣の指導員によるものだそうです。井戸も、州政府によって作られた立派なものが村の入り口の田んぼにありました。
子どもたちと一緒に牛追い。
のんびりとしたインドの農村風景画どこまでも続く。
 牛を飼う事も、近年始まった事で、予想以上にきれいな牛たちでした。思いがけず、村の女の子たちと一緒に牛追いを体験してしまうという幸運にも恵まれました。村の中も牛糞はほとんど臭いませんでした。再生能力の早い竹をつかって籠を編む事は、ラジャスタンから来る女性ボランティアによって、指導を受けているそうです。

 Adult education(成人教育)も巡回学校によって行われており、読み書きのほかに予防接種、家族計画などの指導がなされています。子供たちの教育も、この巡回学校の制度を使い村の入り口にあった校舎で行われています。そして州政府から、これらの教育の手助けとして支給されたテレビは村の集会所に置かれて、私たちが帰るころには、子供たちがテレビ鑑賞をはじめていました。医療については、日曜日にボンベイ市内の医師たちによるボランティアの巡回診療があり、内科だけでなく、眼科、耳鼻科など医師の診察も受ける事が出来るそうです。私たちが訪ねたワダ村は、幹線道路に近い事もあって、州政府の指導が成功しているモデルの村の一つだそうです。
Don't give him fish, teach him how to fishing 「魚を与えず、釣りを教えよ」のスローガンどおり、今では、田畑を耕し自給自足の生活で、ワールリー画の収益で衣服を買うような生活になっています。現在のワールリー画の中には、本来はなかった、脱穀の様子、風車、ヒンディー寺院などもかかれるようになり、今回購入した絵には、文字(サイン)までありましたが、それでも、彼らの生活そのものが今もって簡素で平和である事に変りがありません。子供たちも飢えることなく、玩具はなくとも、石ころなどで、自然の中で遊びを育んでいて穏やかにみえました。(決して貧しくはない暮らしです。) ワールリー村がどんなところか、不安や心配もありましたが、同行した友人家族ももう少しここにいたいと思ったようです。最後に井戸を覗いていた私たちの様子に気づいたおばあさんが、つるべのついたプラスティックの桶を持ってきて汲んでくれました。
井戸で水お汲んでくれたおばあさん。
マラティーと同じサリーの着方で、裾を後ろにからげている。
 水は思ったよりも冷たく乾季にもかかわらず満々と沸いていました。少し離れた小高い丘には、トイレらしき藁葺きの小屋が見えました。(確認は出来ませんでしたが…確認したかったです!今回、私たち邦人の最大の問題でしたから)。刈入れの終わった田んぼで、稲の残った株を踏みながら、雨季になり、雨が降って、緑の絨毯が美しいころ、また訪れてみたいと思いました。ボンベイに戻っても、なんとなく、癒されたような気分になったのは、私だけでは、なかったようです。
 今回のワールリー村訪問は、スワミ先生と私、現地ガイドの3人で企画しました。ムンバイ在住の日本人もほとんどたずねた事のない先住民の村ですが、15家族40人の日本人の訪問に村をあげて歓迎してくれて、企画した私は胸がとっても熱くなってしまいました。インドの全ての村にもこんな平和な生活がドンドン広がって欲しいと感じました。
 相変わらず、飽くなき好奇心でボンベイの探検に余念がない私たち家族です。機会があればまたインドのこんな小さな村の生活をのぞきに行きたいと思いました。電気も水道もなく、私たちから見たら、不便そうな暮しも、日々飢えることなく、穏やかに暮す人々の生活を見て、ミレニアムだ、Y2Kだと、大騒ぎしている先進国をよそに、まさしく悠久のときが、そこにはありました。2000年最初にこの村を訪ねられたのは、意義ある事だった気がします。今一度、自分のライフスタイルを振りかえってみたくなりました。(2000年1月31日)


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